学校に行っていないことについて、事情聴取をうけることになったぼんご。
お父さんとお母さんを前に、がちがちに緊張していた。
(前編はこちら)
過呼吸おこる
「学校から連絡があって、あんたが学校に行っていないって言われたんだけど」
みたいなことを皮切りにお母さんにいろいろと聞かれたらしいのだが、記憶が曖昧だ。
覚えているのは、お母さんがまくし立ててすごい勢いで自分に詰め寄ってきた、ということだ。
ものすごくたくさんのことを同時に聞かれたらしい。
なんで学校に行っていないのか、何が嫌なのか、何かつらいことがあるのか、勉強はどうなのか、いじめられているのか、友達とうまくいっていないのか、先生とうまくいっていないのか、体調がわるいのか、お母さんとしてはこう思っている、普通はこうやって乗り越えたりする、あなたは身体が弱いから勉強しないといけない、多少つらくても根性で頑張れ、お母さんは心配、お母さんは心配、お母さんは心配なのよ!
今の言葉はどういう意味なのか、何と答えればいいか、どうすればいいかを整理する暇もなく、次から次へ言葉を浴びせられてぼんごは大混乱に陥った。
言葉はまったく入ってこず、辛いのは自分なはずなのだが、ただただ自分が責められているように感じられて、自分の社会は自分に対して一方的に主張してくることが多く、自分はいつも自分自身の気持ちを押し殺して何かに耐えながら過ごしてきたことを、ぼんやりとぼんごは思い返した。
自分はいつも耐えてきたと、自分はこうしたかった、ああしたかったと、そのような素直な気持ちを、自分の謎の体調不良の現実のことを、腎炎の制限やそこからの急激な開放のようなことを、目の前の誰に話しても伝わった気がしてこなかった。
友達にも先生にも医者にも、そして目の前でわめいている親にも伝えられる気がしない。
何か伝えようにも言葉を結べない。頭がいっぱいいっぱいだ。
怒られているような悲しみや、世の中や自分の身体に対する怒りや失望や、あきらめの気持ちやら情けない気持ちやら、いろいろな感情がごった煮になって、これ以上自分の中でそういった情報を処理できない、とぼんごの脳は判断したようだった。これまで耐えに耐えてきた何かが、もう限界のところに来ていた。
心の中が渦巻いて鼓動が速くなり汗をかいて息が苦しくなりはじめ、投げかけられた言葉は自分の後ろに飛んでいって、母親が何かを訴えている身振り手振りのようなことだけが無声映画のようになって外界の様子は情報を失っていって、次第に自分は火星にでもやってきたかのように酸素が薄く感じられ、涙と鼻水が同時にあふれ出て、呼吸は苦しく、吸っても吸っても内臓が満たされず、こんな感じで過呼吸になって、娘の異様な状況に気づいたお父さんとお母さんは驚いて介抱しはじめて、事情聴取はそれで終わったらしい。
その日の記憶はそこで終わり。
お父さんとお母さんはさぞ、驚いたことだろう。
父帰らず
別の日、父が夜勤でいなかった日。
その日ぼんごは昼のうちから不安がひどく、吐き気、めまい、動悸、等のパニック発作の前兆のようなものに付きまとわれる一日を過ごしていた。
夜になっても不安は消え去らず、ご飯は食べずに布団に入った。
そのうち酸素が薄くなってきた。
この時は寝床を抜け出してお母さんに訴えた。
「息・が・・できな・・・・い、お・母さん・息・が・で・・い」
青白い顔を汗でぬめらせて尋常じゃない口調でそんなようなことを訴えて、ぼんごは床に転がった。
お母さん、一瞬でテンパった。
寝室に入って来て倒れ込んだぼんごの状況が掴めず何をしていいかわからず右往左往しながらも、救急車を呼んでくれたらしい。妹をひとりで家に寝かせたままにして、救急隊員に運ばれるぼんごに続いて、お母さんは救急車に飛び乗った。
お父さんがいない夜のこと、いつまでも遠くならないピーポーピーポーを頭上に聞きながら、お母さんは娘の異常事態を自分一人で何とかせねばと、自分自身の不安を蹴っ飛ばして健気にぼんごに寄り添った。
気づいたときにはぼんごは病院で点滴を受けていた。
医者が「大丈夫ですよ」みたいなことを言っていた。
ぼんごのこういった記憶はいやな記憶すぎて曖昧な情報になっており、思い出すことが難しい。
が、断片的にでも聞こえてくる話から想像すると、この頃にはぼんごの不安は家にいても普通に起こるようになってしまっており、家は絶対的に落ち着ける場所という訳でもなく、そのことは体調の異変を通じて家族にも知られる状況になってゆき、ぼんごの謎の体調不良はぼんご家の新たな問題の中心のような感じになってしまっていたようだった。
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