ぼんごさんと高校:冬がはじまるよ

ぼんごさんと高校

高3の冬が来て、ぼんごの人生にも受験シーズンというものが訪れていた。
その、受験シーズン真っ盛りの12月の半ばの平日のこと。
ぼんごはひとり、人もまばらな午前のデパートで寝間着を買っていた。
これから入院するのだ。

ドクターストップ

ぎりぎりでいつも生きていたいから・・・を勝手に校是にして頑張っていたぼんごさん。
パスできる授業は可能な限りパスし、体力を温存して不調に備えながら学生生活を送ることが常態化していた。
高3にもなればそういった生活にもある程度慣れが生まれてきていて、わりかし順調に出席日数を計算できていた。

のだが、この受験シーズンの12月、ぼんごは風邪をひいた。
学校を休みたいが、出席日数がやばい。高2の時のような抜き差しならない状況をまた繰り返すことになるのは御免だった。

なので、無理を承知で学校に出た。
夕方になると熱は39度近く出て、夜には家にあった市販の薬を飲んで寝るのだが、朝になっても熱は37度台で下がりきらず、そんな体調でも学校に行った。
ちょっと高い、生薬とかが入っている健康ドリンクをくいっとやって、自分の身体よ耐えてくれと少年漫画のワンシーンのような心持ちで、ぼんごは寒いのにミニスカートで家を出た。

こんなことを数日繰り返していたのだが、熱が全く下がらず体調は一向に良くなる兆しがなかったので、とうとうぼんごは病院に行くことにした。病院に行って薬をもらってから学校に行こう。
腎炎でかかっていた総合病院の小児科に、制服のぼんごは並んだ。

肺の音が変だからレントゲンを撮ろうということになり、曰く、ぼんごは肺炎になっていたらしい。
先生の診断では即入院ということだった。

単位がやばいから学校に行きたい、そうしないと卒業できない、とぼんごは捻りだすも、学校なんて絶対だめ、安静にしていないと症状は悪化する一方だ、とのことで、ぼんごの学生生活にとうとうドクターストップがかかった。

即入院と言われても、いつものように制服のままひとりで病院に来ていたから、入院のためのあれやこれやの用意も何もなくて、とりあえずぼんごは、病院の近所にあるデパートに行って適当な寝間着を選んで買い、着替えて病室ベッドに横になって、普通の学生生活がまた少し遠のいてゆくのをなんとなく思いながら、少し懐かしい病院の匂いのなかで眠った。
夕方にはお母さんが家から飛んできて、あれやこれやをやってくれた。

はじまりはいつも風邪

小さなころから冬になるとよく体調を崩していた。
よくある風邪のような感じで、熱が出たりお腹を壊したりすることがしょっちゅうあった。
病院にかかって風邪薬をもらって飲むも、回復することもあれば長引くこともあって、長引いたときはほぼ間違いなく腎臓の数値が悪化して、数か月の入院となることが常だった。

十代の半ばから紫斑病性腎炎は寛解が続いていたものの、体調を崩しやすい状況が根本的な部分から解決したわけでもなかったわけで、この時のように無理が続くと、風邪のような症状を発症してそれが続き、ここでさらに無理をするとさらにどこかに悪い影響が出て、結果的にそれは腎臓の状況の悪化、ひいては腎炎の再発につながりかねない事態は昔も今も(2023年現在も)とくに変わっておらず、相変わらずぼんごはに悩まされたりしている。普通に憧れて壁を壊したりしてみても、壁は自分を守ってくれてもいるのだった。

この肺炎の時に入院したのは小児病棟ではなくて一般病棟のほうだった。
ぼんごはこのとき、はじめて一般病棟に入院したらしい。
なにも考えず、しばらくはただ寝た。

起きられたときは、受験のことを考えてベッドの上で勉強もした。
参考書とにらめっこをしていたら同室のおばあちゃんに「大変ねえ」とか「勉強してえらいわねえ」とか声をかけられた。小児病棟にはおばあちゃんはいないので、こういったことは初めてのことだった。

だいたい10日くらいを病院で過ごし、途中で担任の先生が会いに来てくれた。
出席日数はやばかったが、さすがにこの時ばかりは温情措置が図られて、この期間の欠席は不問ということになったらしい。高3のときは高2の時よりかは計画的に学校に行くこともできていたし、そういう態度は就学意欲として学校にも伝わっていたようだし、またこの担任の先生が各先生方にも訴えてくれたようだった。ありがたかった。

12月ももう半ばに来ていたので、入院したままぼんごは冬休みに入った。
で、年が明ける直前くらいに退院した。

もうすぐ試験だ。

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