ぼんごさんの入院生活:ぼんごさんはこう思った

腎炎

ぼんごさんにとって、こども病院での生活はその後の人生観を大きく方向づける出来事だった。

こども病院では、看護師さんも先生もとても穏やかで物静かで、こどもたちは優しく扱われていた。みな、なにか大切な役目を課された貴人のように大切にされていた。

そして、その役目を果たす時が来たかのように、ベッドのまま運ばれてゆくこどもたちが何人もいて、ぼんごさんもそういう瞬間を幾度となく見てきた。そのときがいつ自分にやってきても不思議じゃないなと、ぼんやりと寂しさを感じていた。そういう気持ちが募ると自然と夜は不安になり、同室のこどもたちの息遣いがいつもと違って聞こえたり、開けてはいけないと言われている扉の奥を想像したりして、ちょっとしたことでも恐ろしくなった。

明日どうなっている、来週どうなっている、来月は、来年は、将来はどうなってゆくのか、と先々のことを想像することは困難で、ただただ今日という日に病気が悪化せず、一日を無事に乗り越えられるようにと、刹那的に過ごすほかなかった。だから、いつも通りに朝を迎えた時はそれだけで嬉しかった。

肉体的なつらさより、精神的なつらさのほうがずっと深刻だった。入院生活の日の浅い頃は、お母さんに会いたいとか、おうちに帰りたいとか思っていたけれど、そういう寂しさには慣れたらしい。やがてぼんごさんは心のなかで、うっすらと、病気のある自分の生活と健康な他人の生活の違いについて、答えのない悩みを背負い込むようになる。精神的なつらさは、この悩みのためだ。

普通がわからない

ぼんごさんには、同世代のこどもたちの「普通」というものがわからなかった。

自分にはその普通の経験がなかったので、自分が置かれている状況が悔しいものであるとか寂しいものであるということを感じなかった。健康なこどもの普通が知り得なかったので、比較して自分が普通ではないということも知り得なかったのだ。それくらいぼんごさんの普通と、周囲の普通は交わっていなかった。
こういった幼少時代を悔しい、寂しい、かわいそうと思うようになったのはだいぶ時間がたってから、社会人になってからのことだ。当時、一日がとても重かった日々にあっては、健康な子供と遊んだり、学校に行ったり、街へ出たりして自分の普通と誰かの普通がぶつかる瞬間に出くわしたときには、わけもなく悲しくなったり、恥ずかしかったり、悔しかったり、泣けてきたり、いろんな感情となってぼんごさんを苦しめた。

当時住んでいた家の川向うには、病気が良くなったら通うことになるはずだった幼稚園があった。しかし、ぼんごさんの生活にとって幼稚園はまったく現実感のない場所で、ずいぶん遠いところにある建物のように感じられていたらしい。病院のほうがずっとリアルで、日常の時間をたくさん過ごしている場所になっていた。幼稚園は楽しいところだよ、などと聞かされてもまったく想像がつかず、想像がつかないものへの期待もなかった。結局幼稚園へ行くことはなかった。
いつのまにかぼんごさんは病院の中だけが現実になってしまい、病院を出て暮らすことを想像することも少なくなってしまっていった。わずかに家にいられたときでも、調子が悪くなるとその家ですら怖いと思うようになった。病院にいたほうが安心するようになっていたのだ。家で調子を悪くすると病院に行きたがった。

ほんとうに幸いなことに、ぼんごさんはこども病院を自分の足で歩いて出ることができた。けれど、紫斑病性腎炎は完治しない病気だ。こども病院をあとにしたぼんごさん、それからも別の病院で入退院を繰り返しながら、こども病院で過ごした刹那的な日々の普通と、毎日が続いていてあたりまえな健康な人たちとの普通との間で翻弄されながら生きるようになってゆく。

普通へのあこがれ

いまもぼんごさんは悩みを抱えている。
ぼんごさんは外見的にはまったく病気に見えないが、腎臓は普通の人の機能の4割くらいしか働いていない。だから、普通の人の普通のなかにいることだけでも、実際はかなり消耗している。いつもひーこら言っている。普通でいるだけでもかなりの努力をしていて、でも、それだけでは周囲に置いて行かれてしまうのが悲しくてつらいというようなことを言っている。しかも、腎炎が身体に及ぼす影響はさまざまなので、持病といっても何かの行動や食べ物を制限されているとか、手足にハンディを背負っているといったようなわかりやすい特徴は無くて、風邪をひきやすかったり、伝染病にかかりやすかったり、つかれたり、アレルギーがひどかったり、つかれがとれなかったり、だるかったり、頭痛があったり、といったようなことがずっと続いている。普通の人にとってはいつも疲れが取れない状態というと近いのかもしれない。
なんで自分の身体はそうなのかと、ぼんごさんはいつも悩んでいる。昨晩も自分の悩みをごにょごにょとつづった中高生の青春の残滓みたいなほとばしるポエムをメモ帳に書きなぐっていた。こども病院の暮らしの中での原体験をはじめ、幼少期に体験したさまざまな出来事を通じてぼんごさんの中に湧きおこった「普通へのあこがれ」は、ぼんごさんの人生にとって、逃れられない運命の出発点のようになっていて、つかず離れず、いつも彼女を苦しめることになるのだった。

大人になってから、ぼんごさんは、ふとこども病院にいたあの子供たちはどこに行ってしまったのだろうかと考えたりする。ぼんごさん、自分と同じような経験をした人に出会ったことがなかった。もしかしたら友達のなかにいるのかもしれないが、みんな心にしまって生きているのだろうか。ぼんごさんは成長するにつれて周囲の普通と自分の普通の中で悩みを解消しきれずに悩みとともに生きているが、同じ経験をしたあの子どもたちは、自分と同じように悩んで苦しんで、どこかの普通の中を生きているのだろうかと思い巡らす。

こういう経験をしてきた自分はめずらしい人間なのかなって寂しく思うことがあると語っていたことがあった。それは、経験してきたことにしかわからないことで、僕には何も言ってあげられることがなかった。いつも、ぼんごさんは頑張っていると、ぼんごさんは一生懸命やっているよ、と励ますけれど、ぼんごさんの行く道を阻むものは普通の世の中にあふれていて、そのたびに落ち込んでぴーぴー泣いたりしている。かわいそうだ。

だから、僕はぼんごさんがここにいました、いまもここにいます、ということを記録して、ぼんごさんをいつでも再構築できるように文章を残すことにしたのだ。ぼんごさんが頑張ってきた生き様をぼんごさん自身が確固たるものとしていつでも振り返ることができて、自分はこういう人だよと、普通の方々に少しでも理解してもらえる手助けとなるように、この文章を書いている。

普通の人が歩いて進むような速度でも、結構頑張って走り続けているようなぼんごさん。それでも周囲に置いて行かれないようにさらに頑張って走り続けていて、泣き言を言わないぼんごさん。
その姿をそばで見ている僕は、けっこう神々しいと思っている。がんばれぼんごさん。ぼんごさんは確かに頑張ってここに生きているよ。つらいときは支えるし、楽しいときは一緒に笑うし、最後に骨は拾ってやるから。 あと昨日のポエムは読んでないことにしておいてあげるから。

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