高校の半ばごろはぼんごのそれまでの人生において精神的にどん底の時期だった。
原因のわからない悩み
高校の頃はまだまだ自分の不調がパニック障害によるものであることを知らなかったから、自分の身体に何か重大な異変が起こっているのだという不安に常に悩まされていたし、両親には腎臓のことに加えて新たな心配をかける気にはなれなくて(言っても伝わらないから結局怠けているのだと怒られて終わる気もして)、ひとりで通った病院ではパニック障害の診断もつかなかったので不安は増すばかりだし、友達は自分には眩しすぎて現実感がなく、この頃はいろいろと自分の悩みを自分の中に抱え込んで過ごすしかないひとりぼっちの時代だった。
原因を掴めない悩みが続くことの不気味さを思うと僕は悲しい。根本的な解決に繋がらなくても、せめて診断がつけば気持ち的に楽になる部分もあったのだろうと、寂しく思う。
ぼんごの悩みは、はじめのうちは自分のなかに抱え込む悩みであったが、そのうち外見的にも影響が出てきて、特に学校では、元気がないとか、やる気がないとか、感情の起伏が激しいとか、目がいつも半開きとか、反対に目だけがぎょろっとしているとか、そんな風に噂が立つこともあったらしい。
で、そんな様子はじきに家族にも伝わり、お父さんが助け舟を出してくれたのがあの夜のことだった。
奥のほう
あの夜のあとも、ぼんごの身体的な不調に具体的で有効な対策が見つかったわけではなかったから、相変わらず不調は突然起こるし、診断はつかないし、学校も満足に通えなかった。
ただ、気持ちの面ではどん底を見たようで、たとえば、それまでは落ちるだけ落ちて底の見えない深みに永遠に飲み込まれてゆくようだったのが、かろうじて足を着くことができる場所にひっかかって、どうやら横に向かって進むこともできるみたいだと気がついたような感じだったのかもしれない。
「生きることに真面目ならば目の前の事から逃げたって構わない、そういう前進の方法もあり」だと言ってくれたお父さんの態度は、ぼんごの自尊心の根本をそっと優しく、しかししっかり確実に支えてくれたようだった。
人生に正解はないし、悩みの原因や対処法や付き合い方の考え方も人それぞれ、体重年齢といった外見的な事も、知っている事や価値観や家柄や土地柄なんてものも全く同じ人間は1人としていない訳で、そのぶんだけ答えがあるとも言えるのよ、だから、自分を失ってしまいそうなほど悩ましい出来事があるなら逃げるという方法も選んでいいのだ、という視点、自分の心身の健康が最優先だという考え方は、そこに関してだけは、ぼんごとお父さんにとっては、きっと生まれた時から知っていた人生の正解だったのだと思う。
辛かったら逃げてもいいのだ。
どうしても無理だと思うときがきたら、そうしよう。逃げよう。
ぼんごは自問自答した。
自分の身体と気持ちに無理をさせて深刻な状況を過ごすことよりも大切なことって何だ。
自分がいちばん大切なんだ。自分自身の声にもっと耳を貸そう。
自分が何をしたいか、何をしたくないか自分で意識して過ごそう、といったことをぼんやりとでも考えるようになった。
どうしても学校がつらくて仕方が無くなったときは躊躇なく学校をやめよう、と、ある意味開き直ることもできた。いつでもやめられる。お父さんはやめていいとも言ってくれた。
いつでもやめられるのなら、もう少し頑張ってみよう。
今日少し頑張ってみて、無理なら、今日でも明日でも、すぐやめればいい。
そんな風に思うことができるようにもなったみたい。
依然として腎炎のために行動制限つきの生活を強いられて寂しい時間、他人と比べて自分は普通じゃないと感じてしまう壁、突然起こるパニック発作、それを理解してもらえない人間関係、とぼんごの日中は悩みの多い時間で、疲れて家に帰って、夜になると、消えてしまいたいとか、翌朝が来なければいいのにと思う事も多かった。
が、朝目を覚まして、自分がまだいるのだということを悟ると、自分がいる限りは自分の人生に真面目でいたいと、人生が続く限りは頑張って生きてみようと、ベッドのまま運ばれてゆくのはまだ先なんだと、幸いにも続いている自分の命を最後まで使い切ろうと心のずっと奥のほうから思ったりする自分もいることを、このころに知ったみたいだ。
その日が、向こうからやってくるまでは頑張ろう。やれるところまではやってみよう。
目の前のことに集中して、できることだけ積み重ねて、それで乗り切れるならそうしよう。
生々刹那主義がここでも活きた。
目の前のことに集中することで不安が遠ざかるなら、そうやって生きればいい。集中できないほど不安が襲ってきて体調が悪くなるなら、すぐやめよう。あきらめるのはいつでもできる。やめるのはいつでもできる。
いまの自分に向き合うことは、いましかできないのだ。
後悔の少なそうな行動を選んで、あとで自分に恥じることがないように生きて行こうと、この頃のぼんごは、もがきながらも何かを掴んだようだった。
自分の人生のレールはみんなと違うのかもしれないが、自分にとっては自分の人生のレールを最後まで走り切ることが大切なことなのだということを意識するようになっていったみたいだ。
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