ぼんごさんと腎臓 -解放-

ぼんごさんと中学校

腎臓内科で「いままでできなかったことができるようになる」と言われたぼんごさん。
明確には宣言されなかったものの、腎臓は寛解の状態になったと言ってよかった。

寛解というのは、症状が落ち着いた状態のことだ。
ぼんごさんの身体でいえば、悪いながらも腎臓は持ちこたえており、それ以上悪くなるような出来事が長らく起きておらず、病院にも頻繁に通わなくて良い状態といったところだ。

ただ、腎臓は回復しない臓器だ。このころすでにぼんごさんの腎機能は普通の人の何割か低下した状態にあって、寛解したと言ってもこの低下した状態で悪くならずに耐えているという状態でしかなかった。

ルール無しの戦い

ぼんごさん自身、言われてみれば身体が軽くなってきたような感覚はあった。
容態が安定していることで多少活動的にもなっていて、体力もつき、今までできなかったことができそうな気持になったりもして、やったことがなかったことにすこしチャレンジしたりということもあった。

今日からなんでもやっていい、はいどうぞ、おめでとう!と宣言されるわけじゃなかった。
次第に病院から離れ、すこしずつ自分の頭で考えて行動する機会が増えて、学校生活の中で自立していかないとならないような状態だった。

ぼんごさんにしてみれば、あれはだめ、これはだめとずっと縛られていた状態が普通だったため、次第にその呪縛がなくなって自由を得たはいいものの、つまり何をしたらいいのか、を考える点でまったく力がなかった。何をすればいいか、どうすればいいかを一緒に考えてくれる大人や友達はいなかった。

寛解したとはいえ、今後長いこと弱った腎臓と向き合わなければならないことがわかっていて、しかも多感な時期を迎えようとしているひ弱な存在に対して、普通の世の中はなかなかに厳しかった。

これまでは腎臓を守る行動が一番優先されることだったけれど、これからは学校の友達の普通の生活に馴染んで普通に暮らしていかないといけない。
学校の友達や先生は腎臓のことをあまり理解してくれないから、自分が普通に追いついて慣れていかないとならないのだ、とぼんごさんは思った。
みんなと同じように生活できる自身なんて全くなく、相変わらず自分のレールはぐねぐねのように思うけど、速度はみんなに合わせて行かないとおいて行かれてしまう状況になったと感じた。

腎臓のことを武器のように掲げて、周囲を黙らせる方法もあったと思う。くどいくらいに周囲に紫斑病性腎炎のことを認めさせて、何かを優遇してもらうような方法が。疲労の度合いに応じて授業を休んでいいとか切り上げていいとか、行事に参加しないでいいとか、ぼんごさんのペースに合わせて普通をすこし譲ってもらうやり方もあったのではと思う。最近の世の中だったら多少はそういう特別扱いもありそうな雰囲気は感じる。

思い描いていた自分

純真な十代のぼんごさんは、なんでもやっていいよ~と言われたらば、なんでもやらないといけないのだ、と素直に思った。頑張ろうと思った。物言わぬ臓器に物を言わせ周囲を従わせる、という発想に至ることがなかった。

学校の友達は学校の活動に加えて、ピアノを習っていてうまく弾いたり、水泳を習っていて溌溂としていたり
、きれいな絵を描いたりしたりしている。自分もああいう風に何かできるようになりたい、そんなことをすら考えるようになっていた。

だから、いままで自分ができてこなかったことを、自分なりにいろいろと頑張り始めた。
課外活動とか、部活とか、やったことない体育とか、友達と遊ぶとか、女子のグループに属してみるとか。

ところが、自分が思い描いていたようにできたことは全くと言っていいほど無かった。

テレビや漫画や本の中で見聞きしていた、普通の子どもに与えられている感覚が、自分に無いことが分かった。
特に体育の時間は苦痛で、ボールが来ても取れないし、怒られるし、さぼっていると揶揄されるし、自分が思うように身体を動かせないし、ルールもよくわからないしどう動けばいいのかわからないし、普通に馴染むということは相当な努力を伴うことだということを思い知った。

なんでもやっていいと言われて、なんでもできる自分を想像する。そしてチャレンジする。
しかし現実はその100分の一も出来た気がしないジレンマがぼんごさんを悩ませた。

また、頑張っていろいろとやってみた後は決まって疲労感がひどかった。
普通よりも何割か弱った腎臓で普通をドライブしているのだ。身体は嫌がった。

とりあえず勉強

寛解し、やれることが増えたことについて、世界が広がった感覚はあった。
普通の人からしたら、できることが増えて楽しく、喜ばしく思えるようなことだと思う。
また、ぼんごさんよりも難しい状態にある人にとっては、ぼんごさんは寛解しただけ素晴らしい、と思えることだと思う。

しかしぼんごさんにとっては、寛解して壁がなくなった世界というものは、普通と自分との間の差をまざまざと見せつけられる環境に足を踏み入れたのと同じことだった。頑張れば普通でいられるし、運が悪ければ病院生活に戻らないといけないというどっちつかずの状態で奇妙なバランスを保った。

この、奇妙なバランスの上に生活する人は、ぼんごさんは自分の人生の中では出会ったことがなかったらしい。
また、ぼんごさんのそんな心の襞を察してくれる人はいるはずもなかった。の中のぼんごさんがそれを告白することもなかったし。

しかも、この頃から、できないことがあると、親や先生や友達はなかなか露骨にいやな表情を浮かべるようになってきたので、ぼんごさんは何でもいいから自分にできることはないかと探して、とりあえず近くにあった教科書を読んで勉強を頑張った。寛解する前は体調が悪くなければ、それだけで褒めてくれていたのに。

通知表が良ければ周囲の人は褒めてくれたし、いじめの対象になるようなこともなかったし、怒られることもなかったので、ぼんごさんは成績が良くなっていった。
ただ、勉強ができても普通になれた気はしていなかった。

自分と普通との違いを日々思い知らされて、ぼんごさんはいつしか自問自答を始めるようになった。
いったい自分には何ができるのか、いまも悩みは終わっていない。

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