なりたい職業に就けなかった自分へ

最近のぼんごさん

私にはなりたい職業があって、行きたい学部があったけど、結局体やお金の都合もあってパスをした。職業とは無関係の三流大学の文系学部に入って、卒業する時にきちんと就活もしなかったので、その後ずっと事務系の仕事を非正規ですることになった。そのことを今更後悔しているわけでもない。もっと体力を考えて、とか、勉強をして、とか、まあ病気を加味した人生を考えてもよかったわけだけど、その日その日を生きることに精一杯だったから仕方がなかったかなと、今は思う。

このblogの私が吐き出してきた苦悩を読み返すと最近少し怖い、というか気色が悪い気がするようになった。

別にそんなに声を上げることでもないのだ。例えば私「ぼんご」が満員電車にでも乗っていたらただの太って歳をとっているおばさんにしか見えない。「ぼんご」は病気に縛られて不満を持っているが、ただそれだけなのである。隣の人は多額の借金を背負っているかもしれないし、前の人は珍しいものしか愛せないかもしれない。

みんなどこかで歪なかたちを持つ自己の奴隷なのではないか。

事務という職業を今でも誇らしいと思うことはない。生きるための手段であるし、生産性がないと詰られても反論できるものでもないからだ。

ただ一言で事務と言ってもそこは様々な仕事があり、ずいぶん色々な経験はつませてもらったので、今後もこの仕事をメインで生きていく他はないし、無職期間を抜いても16~7年やっているのだから、それなりに応用は利くと勝手に自分で思い納得している(とはいえ、年齢的に雇われることが厳しいことも承知はしているのだが……)

なりたい職業からはずいぶん遠くに来てしまった。

「ぼんご」というキャラを通して、中の私も病気に不満を持ちながらも何かを受け入れ始めている。たまに真夜中眠れないと、ネガティブ思考がぐるぐるしておかしな言動をすることもあるのだが、いくつになっても精神のアップデートはできるし、するべきだと思う。

もう10代の私がなりたかった職業は他の素晴らしい人たちが紡いでいるのだからそれでよかったのだ。

少し冷静に、たまには文章を書くことも悪くはない。

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