ぼんごさんと小学校:緊張する学校

腎炎

身体の調子に浮き沈みはあるものの、ぼんごさんは小学校に通った。

一年生になるときには祖母からランドセルと文房具のセットをもらって嬉しかったらしい。家でお道具箱を覗いて、分度器とか変な形の定規とかを見つけて、これは何に使うのだろうとかどういうことをするのだろうとか、好奇心を刺激されて楽しかった。勉強することは苦手ではなかった。しかし、学校という施設に行くことについてはとくに楽しみな気持ちがなく、また不安を感じることもなかった。何も知らなかったためだ。

はじめてのお返事

保育園や幼稚園に行ったことがなかったぼんごさんは、たくさんのこどもと長い時間をともに過ごす経験がほぼなかった。そのため、子どもたちの暗黙の了解とでも言うのか、クラスメイトとの接し方とか、男子と女子の関係とか、上級生と下級生とか、良い子とか悪い子とか、授業中のふるまいだったり休み時間の過ごし方だったり、そういった集団生活のあれこれについて感覚がなかった。そういったものは小学校に通うようになってから知ったのだった。また、先生との関りかたもぼんごさんが自ら学んでいかないとならない課題の一つだった。

入学した日、入学式の後に教室で座っていると、先生がこんな風に言った。
「先生がみんなの名前を呼ぶから、大きな声で返事をしてくださいね」
みな一年生になったばかり。お兄さんやお姉さんになった気分で意気揚々と小学校にやってきた子供が多いのかなと思う。後ろに立ち並ぶお母さんたち。紙のお花が飾ってあったりした。
「1番、○○君」
「はーい!」
と元気な声で返事があった。
「おお、元気があっていいね!」
と言うと先生は黒板に大きな字で生徒の名前を書いた。
「今の声は元気で大きかったからこれくらいの大きさで名前を書いてみました」
「わーい、やったー」
といった感じで、子どもの名前を声の大きさによって黒板に書くというイベントが行われた。 先生と生徒のはじめての顔合わせでもあり、こども同士でもお互いを知りあう機会でもあり、子どもにとってお母さんたちの前で良いところを見せる晴れの舞台でもある。

ぼんごさんの番が来た。
「7番、ぼんごさーん」
この時のぼんごさん、行われていることが呑み込めず、どうしたらいいのか緊張のあまり固まってしまって、アニメや漫画の表現にあるようながちがちの状態だった。
「あら、どうしたのかな、7番、ぼんごさーん!」
ぼんごさんは口を半開きにしてアワアワしながら声にならない声で返事をするのが精いっぱいだった。返事をしている気持ちだったが声が出ていなかったらしい。先生は黒板に小さく名前を書いた。 学校はなんて緊張するところなんだ、というのがぼんごさんの最初の印象になってしまった。はじめてのことだからぼんごさん以外にも声の小さい子供はいたと思うけれども。

新しい場所、学校

年齢があがるにつれて腎臓の具合はよくなってきてはいたが、そのぶん行動の幅が少しずつ広がって、新しく学んだり覚えたりしないとならないことが沢山ある状況になっていた。家以外には病院で過ごすことが多かったぼんごさんにとって、学校で新たに出会う人たちは、これまでの自分のいた環境にいなかった人たちだった。これまで自分の身の回りにいた人といえば家族、医者、看護師、病床のこどもたちくらいで、それらの人々はみな表面上は穏やかだったので、学校に通い始めてぼんごさんは、うるさいくらいに元気な子供たちや厳しい学校の先生を目の当たりにし、人付き合いについての自分の感覚をあらためてゆく必要に迫られた。

小学校への帰属意識はなかった。学校は体調がいいときに行けばいいものという感じだった。両親も無理矢理学校へ連れ出すようなことはしなかった。学校は病院にくらべたら目まぐるしい場所で、とくにこども病院の静けさからしたらとんでもなく賑やかな場所に来てしまったという印象だった。そして学校は自分の場所である気がしなくて、家と病院に加えて日常生活のシーンが一つ増えたくらいにしか思えなかった。

楽しいことももちろんあるけれど、学校はまたストレスの原因でもあった。

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