中学に入ってからも腎臓の状態は安定していて、入院が必要な状況になることは無かった。
安定というのは回復したということではなくて、すでにこのとき普通の人よりも機能していない腎臓が、それ以上には悪化していないということだ。熱を出すとか風邪をひくとかの体調不良もすくなくなった。
腎臓内科への通院はこのころには3か月に一度でよく、その通院も、いままでよりも頻度を下げてよい、といったようなことを医師から告げられてもいた。
7の倍数
年齢とともに訪れる身体の変化のなかで、女性は、生理がはじまるとき、妊娠・出産するとき、閉経するとき、の3つの変化のときに腎臓への影響があると言われたりするらしい。ホルモンバランスがかわったり、妊娠によって血液量が増えたりして腎臓の働きが変化して、身体に不調となって現れたりするらしい。
中国の「黄帝内経」という2000年くらい前からある本の中に、女性の成長に伴う身体の変化は、だいたい7の倍数の年齢くらいのときに現れてくるらしいということが共有されていたりもするみたい。
これはホルモンバランスが変わる年齢とおおよそ一致しているみたいで、腎臓への影響もだいたい7の倍数くらいの年齢のペースで現れてくるかもしれない、という先人からの助言として、ぼく自身も覚えておこうと思った。
ぼんごさんの場合は10代の初めのころに起こるホルモンバランスの変化の結果、腎臓や身体への影響はこれといって無く、むしろ小学校時代の不安定さからしたら、安定した状態が長く続くように変わっていた。
寛解
低機能ながらも安定した状態が続いていたため、腎臓内科に行っても、とくに治療は無かった。腎炎は一朝一夕の治療で劇的に改善するものでないし、腎臓に負担をかけない生活はぼんごさんと家族の中でこの10年くらいの間に確立されたものとなっていたこともあり、尿検査と血液検査の数値に大きな変化がなければ、今の生活を続けましょう、みたいな暮らしの指針を緩やかに確認しあって終わるような感じになっていた。
ここまでぼんごさんの腎臓が耐えていられたのは、家族の、とくにお母さんの献身的な看病が奏功したのは疑いようのないことだった。ときに怖いほど心配し、恐ろしいほど厳しく腎臓を守ってくれたため、ひどい状態にならずに持ったのだろうと思う。
先生なのかお母さんなのかわからないが、このころ言われた言葉があるらしい。
腎炎の容態が安定していることを前提に、ぼんごさんの近い未来を予測して言われた言葉だ。
「これから少しずつ、いままでできなかったことができるようになるよ」
ぼんごさんは、純粋な性格をしている。
他人から言われたことは基本的には素直に聞き入れて従う。ぴーぴー喚くこともあるけれど、泣いたらそのあとは従順になった。
とくにこれまでは自分の身体を良く(悪くしないように)するために叱ったり忠告してくれたり制限を与えてくれたりする大人たちの言葉には、健気に従ってきた。
大人たちの言葉に従って腎臓と付き合う行動をとることがぼんごさんの心の奥底に根付いて、それらはいつしか普通と自分を隔離する壁となっており、大人たちが気付かないうちにぼんごさんの心の中で拡大を続け、その壁は世界と自分を不自由な形でつなぐ不器用な感覚器のようでもあり、ぼんごさんは自分なりに自分と世の中との関わり方を模索してゆく過程の真っ最中にいた。要は、壁の中にも思春期が来ていたのだ。
ぼんごさんは純粋な性格をしていた。すくなくともこの時は。
「いままでできなかったことができるようになるよ」
だからこそ、この言葉には混乱を覚えた。
「あ、そうなんだ・・・?」
「え、やれってこと・・・?」
「いまさら、普通の人たちに追い付けってこと・・・?」
何かが、すこしだけ、ぴりっと破けた気がした。
それは当時流行っていたひざが破けたジーンズのようでもあり、汚いネルシャツをまとって不毛なノイズを鳴らすシアトルの少年たちよろしく、ぼんごさんの胸中にも、重く歪んだ空気をもたらしていった。
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