パニック障害とは

パニック障害

結論から言えば、ぼんごは高校生になってから「パニック障害」という病気を発症していた。
(参考:厚生労働省:パニック障害・不安障害

パニック障害とは

パニック障害というのはこころの病気のひとつだ。
その症状は突然やってきて、ぼんごが経験した症状の一例で言えば、以下のようなことが起きた。
吐き気
めまい
息苦しさ
動悸
力が抜ける

パニック障害になると、基本的には何の前触れもなく上記のような症状がやってくる。(発症しない時間も多くあることを考えれば、もしかしたら、何らかのきっかけはあるのかもしれない。)

これらはパニック発作などとも言われる。
発作は、上記の症状によって自分はこのまま死んでしまうかもしれないと感じさせるくらい激しいもので、短ければ10分ほど、長くても1時間くらいでおさまってゆく。

パニック障害の原因は明確にはなっておらず、2022年6月現在、脳内の神経伝達物質の動きに関連しているとされているくらいのことしかわかっていない。

ぼんごが実際に医者から言われたことによると、ヒトが命の危険を感じたときに身体に発するサインが日常生活で急に現れて発作として発現するような状態で、激しい感覚に襲われるかもしれないが、それは脳のバグのようなもので、ほんとうに命に危険があるわけじゃないのだ、という感じだそう。

予期不安

パニック発作を何度も経験すると、発作が起きていなくても、起こったときのことを思い出すように、また発作が起きるのではないかと不安を覚えるようになる。(予期不安

予期不安を覚えると、パニック発作を避けるような行動をとるようになる。
たとえば、発作が起きた場所を避ける、発作が起きた行動を避ける、発作が起きる原因になっている生活環境を変える、等々。

ぼんごの場合は電車が鬼門であったから、電車に乗らずに過ごす(=学校へ行かない)という行動につながったりした。

また、予期不安は簡単には解消できない。いつも心のどこかで体調を崩すのでは、と思ってしまうようになり、常に不安を感じている状態になる。あらゆることに消極的になり、自己否定的になり、自分はダメな人間だと、自己肯定感を持てず、抑うつ的になる。

ぼんごの抑うつ

ぼんごの場合、もともと腎炎を持っていたわけで、パニック障害になる前から、気持ちの面で何かしら抑うつ的なものを抱えていたはずだ。
だが、壁は腎臓を守るための防御壁でもあったから、腎臓のためと割り切って生きているときは、障害になるほどの不安を感じることは無かった。

ぼくは、腎炎が寛解を迎えてから普通の高校生活を過ごすうち、これまでに経験したことのないプレッシャーや人間関係や行動の変化といったものが、普通の生活ではこれに耐えなければいけないという強迫観念のような形に変わってしまい、ストレスの原因をダイレクトに、しかも短時間に大量に浴びることにつながっていってしまっていたのではないかと思っている。

ぼんごが寛解を迎えたとき、いきなり「普通」に放り出されることがなければ、パニック障害はもしかしたら避けられたかもしれないと考えたりもする。周囲の大人はもちろん放り込んだつもりはないと思うが、先に何か手を打てる瞬間があったとすればここだ。長らく抑圧的な生活に慣れている状態から、普通をドライブするのはなかなか難儀なことなのだと、ぼく自身肝に銘じておきたい。

「がんばりなさい」「しっかりしなさい」「みんながやってるからそうしなさい」「常識」「あたりまえ」のような、具体性のないアドバイスだったり、当人が普通を満たさない場合に周囲の人間がそれを認めない、叱責する、怒りでコントロールするといった高圧的な接し方はこういった状況には逆効果なのだろうと想像する。

肝心なのは当人が自分の意志で考えて行動することだ。
その結果で失敗したとしても、それは自分自身の教訓として次に生きてくるだろう。当人の思考を捻じ曲げるような接し方は抑圧につながり、それが上手くいかなかった場合の本人の心労はとても大きい。
これは腎炎があろうがなかろうがパニック障害があろうがなかろうが、人として大切なことのように思う。弱きを助けたいと思うのも人の優しさなのかもしれないのだが、過干渉や過保護は人によって逆効果だ。自由に行動できる環境があればこそ、自分自身の弱さに気づき、それを乗り越える気づきやきっかけを積極的に探し求めるのではないかと思う。聞かれたら答える、でいいのではないだろうか。

広場恐怖

また、何度か書いたが、場所に恐怖を覚えるのもパニック障害の特徴だ。
逃げたくても逃げられない、発作になったときに頼れる存在がいない、周囲の人に迷惑をかける、といったことに恐怖をおぼえ、場所を怖がるようになる。(広場恐怖
ぼんごの場合は電車がだめだった。通学は学校生活に直接的に影響した。
通学しないのはぼんごが不真面目だから、というとても単純な理由で処理される悲しい状態が待っていた。学校に顔を出さないと不良とされるのは、ぼんごにとっては不運すぎることだった。
あの時代、リモート授業があったらどれほどよかっただろう。リモートだってさぼるやつはいるだろうに。

お知らせ

じつを言えば、ぼんごは自分がパニック障害という病気であるということを認識したのは高校生活が終わってからのことだった。だから、この頃はこの体調不良がパニック障害であることはわからず、治療法のようなものも知らず、原因ももちろんわからず、ただひたすら耐え、不安に怯える時間だったのだ。

(今後ぼんごぶろぐでは、パニック障害を抱えながら過ごした高校生活あたりの話を続けてアップしてゆきますが、症状だけを書いてもまったく伝わらない(のがパニック障害の難しいところ)と思ったので、このタイトルでいったんパニック障害の説明をさせてもらうこととしました。しばらくの間は、パニック障害を知らなかったぼんごの話として、お読みください。)

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