腎炎の容態がだんだんと良くなってきたぼんごさん。
5年生の1学期、春から夏にかけて2か月くらい入院したのを最後に、腎炎での入院をしなくなっていた。
そのときの入院を最後に、ぼんごさんは普通の学校生活に励んだ。
6年生の1年間は入院をせずに過ごすことができて、月に一度腎臓内科に通院すればよい状態になっていた。
そのころのぼんごさん、自分なりに頑張って、学校生活の普通に馴染もうとしていた。
入院する必要がなくなったというだけで元気もりもりなわけではないし、学校が好きだったわけじゃないし、楽しいことはなかった。できれば家にいたい子供だった。
学校生活では、みんなが普通に出来ていることが出来なくて、見えない壁にぶつかってばかりだった。
ウォール・ボンゴ
学校の授業や行事のなかには、ぼんごさんとしてはかなり体力を消耗するものがあった。たとえばプールの授業とか、林間学校とか、遠足とかだ。
そういったイベントごとがあるとクラスのみんなははしゃいでいて楽しそうに見えた。その様子を見てぼんごさんもつられて楽しい気分になったりしたが、疲れて体調を崩すことは目に見えていたので実際にその手の授業に参加することは無かった。
もしかしたら参加して楽しく過ごせて体調が悪くならないかもしれない。
しかしぼんごさんはその壁を乗り越えることが面倒だと思うようになっていた。無理してでも乗り越えて得たくなるような面白さがそこにあるかどうかわからなかった。体調を崩してまでやらなきゃいけないことってあるのだろうかと、疑問を持つようになっていた。
自分としては頑張って一歩踏み出してみたつもりでも、またバスケットボールの出来事のように、自分の思い描くことと違うことになってしまうかもと思うと、いろいろなことが怖くて仕方なかった。
学校行事やきつそうな授業が来るたび、ぼんごさんはお母さんに判断を委ねるようになった。聞いてみて、お母さんが「やらなくてもいいよ」と言うことはやろうとしなかった。なにごとも、やってみようと積極的になる気持ちがほとんどなかった。
林間学校って、キャンプファイヤーとかでしょ?べつに面白そうじゃない。疲れるし行かない。
リレーとか出たっていい順位になれるわけがない。転んで怪我するかもしれないし、やめた。
私には無理なことだから頑張らない。頑張ってもとくに意味なんかなさそうだし、そういうことは頑張らなくていいや。
そういった冷めた感覚はクラスメイトに伝わっていたんだろな~とぼんごさんは回想している。ぼんごは何かにつけてさぼる、みたいな噂話のようなことを耳にすることがあって、もしかしたらすこし距離を置かれていたかもしれないが、集団生活を細切れにしか過ごしておらず、学校生活にも冷めていたぼんごさんには、そういった子供の世界の機微は深くは汲み取れなかった。
あれはだめ、これはだめ、と管理されて、壁にぶつかってばかりだったので、何かをするとき、ぼんごさんは自分で考えることに面倒くささを感じ、自分で考えて行動することを拒む機会が増えて、すべてを壁のせいにして、自分の行動の限界を見切ってしまうようになっていた。
だんだん、7割くらいできればいい、それ以上は自分の身体はもたないや、と、壁に迫ることすらせず、遠巻きに壁を眺めて自分で限界を作るようになり、壁はどんどん増えてゆき、あちこちにあって、どんどん厚くなってゆき、そのうち、壁はぼんごさんの心の中にもでき始めた。
全力の5割
自分はすぐ体調を崩す。病気になる。病気になったらすぐ入院生活になる。
病院に戻るくらいだったら、無理はしないで「普通」の生活を5割くらい過ごせたらそれでいい。普通の5割でも、自分にとっては100%の生活だけど、努力することは無理をするのと同じことで、それによって病気をして生活を台無しにしてしまうのは怖かった。
だから、無理をせず、細く長く生きることを選ぶように、ぼんごさんは歩き始めた。
何ができて何ができないかを、人生のあらゆるところで自分自身の判断で決めておく必要があった。自分の身体が耐えられることだけを選び取って、冷静に生きるんだ。
病院にいる間は先生や両親の言うことに従っていればよく、誰かが用意してくれた道を歩いていればよかった。しかし、普通の一部に入って暮らすのなら、日々自分に訪れる難事が、自分の身体を壊してしまわないように、なにをして、なにをしないか、ぼんごさんは自分の頭で選び取るようになっていった。
いま振り返れば、その選択の連続の結果、いままで永らえてこられたのかもしれない。
もしかしたら、無理をしてでも何かに賭けて生きる人生もあったかもしれない。同じ腎臓の病であるネフローゼに苦しんだ棋士、大好きな村山聖のように。
ぼんごさんにとって、いちばんの選択はこどもを産まなかったことだった。
生生刹那主義
腎炎の容態が落ち着いてからずっと、ぼんごさんはこうした判断の連続の中に暮らしてきた。
友達との遊びや、学校の授業や、そもそも学校へ行けるかどうかや、友達と出かけられるかどうかとか、旅行に行けるかどうかとか、夜更かしができるかどうかとか、これは食べてもいいのかどうかとか、自分の目の前に現れる様々な物事を、身体のことを優先して決めてきた。
だから、体調が悪いと感じると、友達との約束を破るとか、学校を休むとかを自分の判断で行った。いまの自分には無理だと思うことはやらない判断をし、できることだけを精一杯やるようになった。そのことで友達と疎遠になることもあった。
先のことはどうなっているかわからない、自分がいつまで生きられるのかわからない。
たとえば将来自分がどういう人間になりたいかなんて、考える余裕もない。毎日、腎臓がすこしでも長く持ってくれるような行動だけを選び取ってゆくほかなかった。
過去も未来もない、いま、腎臓にとって一番いい行動はなにか、考えるんだ。人生に目的なんかない、自分が生きのびるために生きよう。腎臓にとって悪いものはすべて避ける。友達や先生や家族からどう思われてもいい、わかってもらえるはずもない。自分だけが自分の腎臓を守らないと。そのために今できることをやるだけなんだ。
こうした精神状態をぼんごさんは「生生刹那主義」と呼んでいる。
いま自分にできる最善の選択を選び続けて生きるということらしい。
岩野泡鳴の本の中で読んだ、ということなのだが、調べてみるとそんな言葉はないとか。
ぼんごさんの造語だけど、我が家ではとても大切な考え方になっている。
腎臓の安定と引き換えに、自由を自ら制限する生活を選び始めたぼんごさん。身の回りのあらゆることについてのあれはだめ、これはだめ、の制限を自分自身で秩序立ててゆく長い旅が始まった。
体験しないとわからないようなことはどうせだめ、絶対むり、と体験しないうちから自分の中に壁を立てた。
ぼんごさんはそうやって次第に自分の心のなかの壁を堅固なものにしてゆき、次から次に壁を打ち立てて腎臓を守り、自分を守り、外界を遠ざけて壁の奥へ閉じこもり、やがて、壁の中のぼんごさんはひとりぼっちになった。
コメント