高校生活も大半が過ぎた。
この頃、ぼんごが何か異変を抱えていることは家族の間では公然の秘密のようになっていた。
でも、なぜそうなっているのか誰にもわからないし、ぼんごも言おうとしないので、得体の知れない不安は募るばかりで、いつかは破裂するのがわかっているのに膨らませ続けないとならない規則でもある風船のような感じで、ぼんご家の不穏さは日に日に膨張を続けていたのだった。
過ぎてゆく灯り
ある晩、食後のこと。
お父さんは家族をドライブに連れ出した。
お父さんが運転をして、ぼんごは助手席に座り、お母さんと妹は後ろに座った。
家の近所のよく知った街並みを抜けて、まだ働いている人も多い宵の口の灯りを過ぎて、少しずつ人気の少なくなってくる静かな道路を進んで、車は高速道路に入る。
暗くなった街の夜景を視界の横に滑らせて、家族4人は高速道路を滑っていった。
誰も何も言わず、ずいぶん走った。
いくつか街が現れては過ぎて、繁華街を過ぎて、工場地帯を抜けて、静かに車は走った。
そのうち車は、巨大な道路と倉庫くらいしかない海沿いのさみしげな風景に溶け込んでいった。
街の喧騒からだいぶ離れたところで静かにただ光の線が流れてゆく無機質な風景は、現実の煩わしさを一時でも忘れられるくらいきれいで、ぼんごはほぼ何も考えずその景色に見とれていた。
車は止まることなく家を、学校を、街を離れてぼんごを遠くへ連れ去って進んだ。
日常からできるだけ遠くへ、お父さんはぼんごを運んだ。
逃げてもいい
お父さんはごく自然に、ぼんごに声をかけた。
「お姉ちゃん、毎日つらいことがあるのかい」
ぼんごは何も言わなかった。
「学校がつらいのか」
ぼんごは無言のまま夜景を見ていた。
「もしな、通うのがつらいなら、学校でつらいことがあるなら、やめたってかまわないんだぞ。それは、お姉ちゃんの自由だから。お姉ちゃんがどうしようと、お父さんとお母さんはお姉ちゃんの味方だからな」
ぼんごは美しい夜景を黙って見ていた。
「人生はとても長いものだよ、お姉ちゃん。いまな、つらくて、生きづらいとか、死んでしまいたいとか思うようなことがあったとしてもな、そんなこと、全部ほっといて逃げればいいんだ」
夜景がすこし滲んだ。
「逃げることは恥ずかしい事じゃないぞ。死ぬほどつらいことがあるなら、さっさと逃げたらいいんだ」
日常を離れた風景の美しさに、ぼんごは涙ぐんでいた。
「つらいことがあったら、言っていいんだからな」
そうか、逃げてもいいんだ。
高校生活を通じて、謎の体調不良のせいで毎日が地獄で、こうありたいと思う自分には到底なれないし、制限の多かった時代のために周囲のみんなに追い付くのは無理なように思われた日常をずっと続けるくらいなら、いっそ死んでしまったほうが楽に違いないと、いつしかぼんごは自分の中の正解をぼんやりと想像するようになっていた。
だが、滲む視界の遠くを一瞬で過ぎ去ってゆくあれやこれやの光のように、それらの現象から遠ざかって逃げることを肯定することを、自分はなんと拒んでいたのだと、なんとなく気が付いた。
逃げてもいいんだ。
そういう選択肢を持っていいということをお父さんに肯定されて、ぼんごの涙は止まった。
自分が見えない何かと戦ってもがいているということを、お父さんは見てくれていた。そのことを知ってぼんごは安心した。気持ちがとても楽になった。
それで、学校をやめるのはいつでもできることだ、と冷静に思い直して、本当にやばくなるまではもう少し学校に通ってみよう、と、心に決めた。
その晩、お母さんは一言も喋らなかった。
きっと今日のことは二人で話し合っていて、お母さんはぼんごを追い詰めるようなことをしないで、とお父さんから言われていたのだろうと、ぼんごは回想している。
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