謎の体調不良が付きまとって離れなかったぼんごの高校生活は、破綻するかしないかのぎりぎりの状況になってしまっていた。
普通の高校生活はとうに破綻していて、そのころは、高校生活を続けられるかどうなのかという境界線上をふらふらと彷徨うような状態にあった。
I against I
この頃はとにかく制服に着替えて学校に行けさえすればそれだけで十分のような感覚で、体調不良と不安のために勉強はまったく手につかなくなっており、成績はひどく下がった。
勉強以外の学校生活に気を遣う余裕はまったく無く、ぼんごは常に自分の周囲にいる見えない敵と対峙するので精一杯で、友達やクラスメイトのことは優先度が下がった。
それでも一応表面上の人付き合いは頑張っていたので、話をしたり、一緒に授業をうけたり、なにかの活動に参加したりということは起きた。
体力的にも精神的にもきつかったが、きつくてもきついなりにやれることはやっていて、ぼんごは日常を処理する努力を投げ出したわけじゃないのだ、これでも精一杯やっていたのだ。
友達からはこんなことを言われた。
「ぼんごは目の大きさで今日のテンションがわかる」
ぼんごに理解を示していた先生からはこんなことを言われた。
「ぼんごが、何考えてるかわかんなくてちょっと怖いです、って言ってきた男子がいる」
こういった言葉を知って、もやっとした。
ぼんごとしては自分ができることをそれなりにやってきたつもりでいたから、こういう、他人から見た自分が異質に映っているということを言われて、寂しい気持ちを覚えた。
できることはやってるつもりだ。
やってるが上手くいかない。
自分(精神)は普通でありたいと願うが、自分(身体)は普通を拒むのだった。
これが理解されないのがなんとも寂しかった。
移行期
腎炎が寛解を迎えた中学校生活の半ばから高校生活にかけて、次第に普通の生活に溶け込んでゆく必要に迫られたぼんごの状況は「移行期」にあったようだ。移行期という言葉をぼくはつい最近知った。
幼少期から難病などで長患いをしていると、長い治療の期間中に思春期を迎え、成人になり、治療の内容も変容してゆくことが必要になるのだが、この、変化の時期を移行期と言うらしい。
(厚生労働省:移行期医療における連携の推進のためのガイドの作成について)
成長するにつれて社会との関わりを持つ機会も増えてゆくわけで、ただでさえ十代の魂の匂いをふりまく思春期の子どもたちが病気の治療を受けながら自分を認識してゆく過程においては、周囲の理解が本人に与える影響がどれだけ大きいかは、十分に考慮されていてほしい。
想像してみてほしい、あなた自身の十代の魂の匂いを。
そこに難病があろうがなかろうが、自分を理解してくれた奴、関りがなかった奴、好きな奴、嫌いな奴、好きな先生、嫌いな先生、敵、味方、先輩、後輩、お父さん、お母さん、兄弟、じいちゃん、ばあちゃん、趣味の仲間、近所の友達、遠くの友達。
いろんな人間があなたを良くも悪くも理解していたはずだ。
そしてそれらは、できれば、良い理解であってほしいと心から願った経験があるのではないだろうか。
ぼんごの場合、移行期には、壁の中のぼんごをほんとうに理解してくれる人には出会わなかった。
また、この頃は移行期の医療指針が充実していなかったようで、ぼんごは割とすんなり普通に放り込まれた。
普通の世界では、ぼんごはほとんど理解されない人間だった。
みんながいるところには属していない自分、思えば幼稚園の時からそうだった。
自分(精神)は普通でありたいと願うが、自分(身体)は普通を拒むのだった。
これが理解されないのがなんとも寂しかった。
そういうとき、ぼんごは音楽を聞いた。
この頃は、重く、暗く、寂しかったり焦燥感や疾走感があったりする音楽を好んで聴いた。
これらの音、決して快適とは言いづらい破滅的な音が自分の心を代弁してくれていると感じられると、これを作った人は自分と同じ気持ちを理解していたのかもしれないと、多少なりとも前向きになることができた。
暗く重い寂しい音楽でも、それが癒す気持ちもあったのだ。
ぼんごの部屋から聞こえてくる音楽、いや音楽と言っていいのかずんどこずんどこ響く激しい音の塊が日に日に騒々しくなってゆく様子から娘の異変をいちばん思い遣っていたのは、お父さん。
お父さんは、このぼんごの移行期を、静かに見守ってくれる人だった。
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