ぼんごさんと音楽(Nirvana)

ぼんごさんと中学校

寛解を迎え、そのことでむしろ普通と自分とのギャップをまざまざと見せつけられて現実の大変さを憂うぼんごであったが、音の世界に旅立つことは、今となってはすこし懐かしい、小学校のころの入院生活のときから変わらず、大好きな時間だった。

病院を離れてからも、クラシックの全集、合唱部で知った合唱曲、遠い国の民謡、どこか昔の国の音楽、またテレビやラジオから流れてくる歌謡曲、CDラジカセから鳴る流行りの音楽など、いろいろな世界があることを耳から知った。

腎炎のために人並みの生活から少し離れて過ごしていても、音は不思議で、いつも自分の壁を越えて響いてくるようだった。

どんなに自分が心を閉ざしているときでも、いつのまにか耳から心の中へするっと溶け込んできて、自分の気持ちに外界の空気を運んでくれるのが心地よかった。入院生活のときにコロカセから聞こえてきたいろいろな感覚は今も同じで、いずれの音楽もぼんごに優しく、勇気をくれたり励ましてくれたり、穏やかに包んで暖めてくれるようなものだった。

そのうち学校でも音楽の話ができる友達ができて、一晩中ギターと女の話で盛り上がっていたとかいないとか。

また、歌の中に出てくる英語の部分を辞書で調べて無理やり翻訳して歌詞の世界を勝手にシンドバッドしてみたり、音楽を通じて仲良くなった友達にはバースデーソングの名曲をテープに詰め込んでプレゼントしてもらったりと、音楽に触れている時間を楽しいと感じることが次第に長くなっていた。

アメリカで流行っていた音

あるとき、音楽友達のひとりがアメリカにひと月ホームステイに行ったことがあって、そのときのアメリカの流行りの音楽だよ、とぼんごにCDを貸してくれたことがあった。

再生ボタンをぽちと押し、スピーカーから流れてきたのは、なんだかよくわからないものだった。
自分の部屋に流れたことのない音だった。

聞いたことのない類の音で、どの耳もその形にしっくりこないとんちんかんな音をしていた。
なんだかよくわからないが、はじめて聞くその音の形は新鮮だった。

音楽ってこんなんだったっけ、とちょっとした認識の崩壊すら生まれた。

ぼんごはその新鮮な耳の刺激を好んで、何度も何度もそのCDを繰り返して聞いた。
そしてテープに録音して、録音したテープも何度も何度も聞いた。

何をそんなに気に入ったのかと尋ねても、よくわからないらしい。

ただ、それまでは音楽といえば綺麗で、優しくて、かっこよくて、美しくて、穏やかで、華やかで、上手で、軽快で、雄大で、素敵なものだった印象だったのが、このCDから聞こえてくる、汚く、荒く、重く、激しい、悲しい音、癖のつよい轟音、そして歌というよりも駄々をこねるがきんちょのどうしようもない叫び声のような歌い方が響いてきたときは、しいて言えばそれは衝撃だったのよ、ということなんだそうな。

ぼくも、別のアルバムだけどこの音楽に初めて触れたとき、音量を大きくして聞けと言われて素直に従ってかなりでかい音で再生したのだが、すぐに気持ち悪くなってかなり音量を下げた記憶がある。しょぼいスピーカーから鳴る音だったけど、耳がこじ開けられる感覚があった。

この新しい音に、ぼんごはすぐにのめりこんでいった。

はじめのうちは新鮮な衝撃だったものが、聞いてゆくうちに、これらの世界はこれはこれでどっしりと世界のどこかに自由に存在していて活発に動き回っていて、これまで自分の想像していた世界や教えられてきた世界と全然ちがう感性で世の中を捉えて音を成している、そういった、ここでしか聞けない音であるように聞こえてきて、どんどんと夢中になっていった。

その音は本当に不思議なことに、ぼんごが「普通」と対峙したときに心のうちに沸き起こるどうしようもない無力感、焦燥感、不安感、怒り、悲しみ、不快感、劣等感、そんなようなネガティブな感情にそっくりな音をしていた。

ジャケットでは裸の赤ん坊がプールでお札を追いかけていた。

オルタナティブな自分

そのアルバムはNirvanaというバンドの2作目で、Nevermindというタイトルだった。

1991年、「The year punk broke」とラベルされたこともあるこの年、Nirvanaの2ndアルバム「Nevermind」と、かの有名な「Smells Like Teen Spirit」がリリースされ、「グランジ」とか「オルタナティブ」とかの音の区分とともに、破れたジーンズにネルシャツ姿が正装のバンドは、アメリカでじわじわとしかし急速に人気が燃え広がっていた頃だった。

リリースから1年あまりたって、このアルバムは全米チャートの1位をとる。

2位に落としたのはキング・オブ・ポップ・ロック・ソウルでおなじみマイケル・ジャクソンの「Dangerous」というアルバムで、テレビやラジオからは、華やかなショーを連想させるマイケル・ジャクソンのノリのいい軽快なダンスサウンドが「ポゥ!」とか「ヒィーヒィー!」「ッアッ!」とかの声にならない言葉とともに流れていたところ、突然この汚い3人組の野蛮な音塊がマイケルをまるごとアンプの向こうに押し流してゆくような衝撃をアメリカのお茶の間にもたらしたのだろう。

「何か想像と違うことが起きている」「メジャーどころと違う流れがある」「これまで知られていなかった傍流がある」といった意味で(たぶん)、Nirvanaを代表として当時アメリカに実のところ草の根のように根付いていた、もとはイギリスから届いたであろうパンクやハードコアのような粗暴だが素直な音楽はひっくるめて「オルタナティブ」という名前でくくられて、一斉に自分たちを鳴らすようになった。

オルタナティブというのは音のジャンルではなくて、カテゴライズできないものをがさっと入れた、程度の区分に思える。いろんな音がありすぎて。

2021年現在、このころにリリースされたアルバムのいくつもが、マスターピースとかクラシックとか呼ばれることもあるはず。なかでもこのNevermindは当時の音楽シーンの変化において象徴的な役を担わされたアルバムなのだ。

と、そんな歴史はいざ知らず、ぼんごはこの音を好んだ。

この音は、いままで学校や友達付き合いや、先生や親との関りや、自分自身に対して思うこと、でも、決して口外することのできないもやもやした心の中の不安定な感情を代弁してくれているような気がした。

普通に向かって誠心誠意がんばらないといけない、と頭では理解しながらも、どうしてもそこに合わせて生きることができない自分、何かが外れてしまった、どこかへ外れてしまった、悲しいような苦しいような、寂しいような、怒っているような、気難しい自分、いらつき、気持ちの中で悪態をつくこともあり、粗暴な気持ち、どうしようもない憤懣、そんなような負の感情がふんだんに詰まっていた。

こんな風に生きてもいいんだと、ぼんごは思ったらしい。
汚いディストーションに耳をぐりぐりこじ開けられながら、なんて格好いい人たちなんだとも思った。

寛解を迎えたものの、ただ普通に憧れる、それが出来ず悲観的になる、他人を羨んだり憎らしく思ったりする、自分なんてだめだと全く自信を持てず、自分を卑下して寂しい想いを抱え込み、どうして自分はこうなんだろうと自問自答しながら答えは出ず、また気づけば自分は普通の人よりも劣っている、なんてネガティブなことばかり考えることが多くなっていたが、この音からはそういうネガティブな自分をありのまま肯定してもらえたような気になった。

重くてざらついていて、話す相手を選んでしまうような音、お父さんお母さんには聞かせられない音、まるで不良が聞くような音なのに、自分たちの感覚に正直なように思えて、ぼんごはその精神性を羨ましいと思った。俺は俺だし、お前はお前だと、強烈に励ましてもらえた気にすらなった。

ぼんごはいつしかこの音に無鉄砲な勇気を見出していた。
友達とか面倒だ、先生なんかどうでもいい、学校や成績も別に大切なことじゃねえ。
私もやりたいようにやればいいんじゃん。

思春期だし中二病だしまだまだ不器用なぼんごではあったが、この音がぼんごの性格の一部を確実に破壊した。

本当は、優等生でいたいわけじゃない、好んで普通に混じりたいわけじゃない、いい子でいたいわけじゃない、先生に好かれたいわけじゃない、褒められたいわけじゃない、病気でいたいわけじゃない。

これまでの人生でほとんど自ら考えることがなく与えられた価値観を、いままでは純粋に信じて疑わなかったが、どうも、自分の中にもうひとりオルタナティブな自分がいて、そういった価値観と矛盾する気持ちを抱えて苦しがっているようにも感じられた。

そしてその自分は、自分が追い込まれた末に仕方なく築き上げてきた壁の中で、長らくひとりでつらい思いをしていたようなのだが、これからは自分自身の意志と行動で世の中と対峙してゆこうもがきはじめているらしく、このNevermindから運ばれてきた空気は、それらのぼんご自身が自分を閉じ込めてきた「」を、またぼんご自身がみずからぶち壊し、ぐちゃぐちゃなノイズのような外界に、精神的に独り立ちしてゆくきっかけを生んだ、大切な一撃だったのだ。

俺は俺、お前はお前。
お前はお前のままでいい。
カムアズユーアーでいいと教えてくれたほとんど初めての人だったかもしれない。

コメント

タイトルとURLをコピーしました