病気のことを他人に話すこと

ぼんごさんという人

ぼんごさんは腎炎を持っている。パニック障害もある。
でも知る人は少ない。自ら病気のことを他人に話すことがほとんどないからだ。

他人に病気のことを話そうが話すまいが体調は不安定で、まってくれない。体調を崩して友達との約束を急に破ることや、誘いを断ってしまうことなどがよくある。また、体調が悪くても無理して付き合いに参加したりすることも多い。外見からは全くそんな風に見えないが、めっちゃ疲労感があるらしい。よく昼寝をしている。

身体が弱いことを悲観することも少なくないので、病気のことを他人に理解してもらえば無理をしなくていいし、つらい場面も減るのでは、と何度か僕から提案したことがある。しかしぼんごさんはそうしない。話しても理解してもらえないから諦めているのだそうだ。

小学校のころ、腎炎で入退院を繰り返す生活のなかで、ぼんごさんは激しい運動を禁止されていた。学校にも同級生にもぼんごさんが腎炎であること、体育は見学で、体力を消耗する行事も不参加であることは伝わっていた。

ある日の下校時間、家の方向が同じ子供の一人が言った。一緒に帰ると約束してくれていた子だった。
「ぼんごは走れないから置いていこうぜ」
そう言うと、数人かたまって駆けて行ってしまった。
軽やかに道の奥へむかって離れてゆくランドセルをみつめてぼんごさん、自分は彼らのように走っては行かなかった。黙ってひとりでゆっくりと通学路をあるいた。

このときぼんごさんが感じたことは、置いて行かれた悲しみ、寂しさ、悔しさ、約束が反故にされたことへの憤り、といった感情的なことではなかった。このときぼんごさんが考えたのは、話してもわかってもらえていないという現実の理解の問題だった。自分は走ることが禁じられているから、みんなが何気なくできていることでもできないことがある。かけっこをするとか鬼ごっこをするとか、スポーツをするとかそういうことはできないということが理解されていないのだなと冷静に思った。一緒に帰ると約束してくれていたけど、現実はそうじゃない。べつに自分に合わせてくれるわけじゃないんだ、と何かを諦めたらしい。

それからも、あたりまえのように期待していたことが思い通りにいかない、似たような経験がつづく。ぼんごさん自身が友達と同じ遊びを拒んだり、友達がぼんごさんを遊びに誘わなかったり、どちらもあった。
そのうち、体調不良で約束を反故にしてしまったりすると悪口を言われたり、ぼんごさんは真面目じゃないと噂されたり、何を考えているかわからない、などと距離を置かれたりもするようになってしまった。

子供時代の敏感な時期に、自分の身体が原因で、期待していたことが叶わず、大切な友達との関係も薄まってしまう喪失感のことを考えると、僕はいつもかなしい。
やがてぼんごさんは自分や他人への期待をしないようになってゆく。

ぼんごさんは病気のことを他人に話さない。自分が少し我慢すればみんなの輪の中にいられると考える。
(病気だけど、少し無理するくらいなら平気。家に帰ってぐったり寝ればいいんだから。)
(もしくは、病気だから自分にはあの遊びはできない。みんな楽しそうだけどあの遊びはできない。)
そう考えて、苦しい調和を選んでしまうのだ。昔からそうで、おそらく今後もずっとそうだろう。

この仕組はぼんごさんの人生経験そのもので、僕はこれを否定しない。矯正もしない。
ただ、つらいよなと思う。だから疲れたときにはマッサージをしてあげている。

コメント

タイトルとURLをコピーしました