ぼんごさんと小学校:卒業文集

腎炎

ぐねぐねに曲がったレールを走り抜ける列車につかまって、ぼんごさんはとうとう小学校の卒業を迎えることができた。

卒業文集

例にもれずぼんごさんの学校も卒業文集を作る学校だった。

いま文集を眺めると、小学生のきらきらした夢や希望が確実にそこにあったことが偲ばれて、まったく知らない子供たちの文章なのに、ぼく自分もそこにいたような気になってくる。

「サッカー選手になりたい」
「マラソンを続けたい」
「バスケの選手になりたい」
「本屋さんになりたい」
「野球選手になりたい」
「修学旅行が楽しかった」
「ウォークラリーが楽しかった」

12歳をむかえた子供たちの、彼等、彼女等なりに見てきた世界のスナップショットのようであり、また、卒業後に訪れる世界への期待や希望が、色褪せたページ一杯に詰まっている。

ぼんごさんも、はじめての集団生活で緊張する瞬間を何度も繰り返し、体調を悪くし、入院し、退院し、布を吸い、勉強したり、体調がいいときは友達と遊んだりして、曲がりなりにも小学校を修了した。

腎臓中心の生活にも慣れたもので、それは完全にぼんごさんと家族の生活の一部になっていて、また、その生活は功を奏していて、本当に幸いなことにぼんごさんの腎臓は、もった。

卒業を迎えるころには、腎炎との付き合いはほぼ10年を数えていた。

ぼんご筆をとる

普通のみんなに混じって、ぼんごさんも卒業文集に一筆よせた。こんな感じで。

今、一番私がうれしいことは、一年間を健康で過ごせたことです。本当に、一年間何もおこらなくてよかったと思っています。

と、喜びの表れからはじまる。
みんなにはわからないと思うけど、これまでの腎炎生活の九年間は何かしら起こってきたんだからとほのめかす。

私は小さいころからの病気で幼稚園には行けませんでした。小学校に入っても、だいたいの体育はできませんでした。

控えめに「病気」とだけ書いた。
これまでも友達や先生に幾度となく話してきてうまく伝えられず、たぶん「病気」という一言の説明に到達してしまったのだろう。
本当の気持ちは壁の中にしまっておいて、壁の外の自分が、このうまく伝わらないもどかしさと、毎日の不自由さをすこし我慢すればいいのだ。それで世の中の平和は保たれる。

でも、友達は、
「ぼんごはいいね、体育休めて」
などと言います。

私は、
「どうして休めるのがいいの?健康なのが一番いいのに」
といつも思っています。

控えめを装ったぼんご先生、しかし思いのたけを抑えきれはしなかった。
休みたくて休んでるんじゃねーんだよ!健康なあんたたちにはわかんねーだろうが!的なことを、おしとやかに、優しく綴った。別に、休めていいねと言ってくる子には悪意はないのだ。そのことをぼんごさんは理解していた。
異端なのは私のほうなのだ。

一年間健康でいることは、成績表でオール5をとるよりもうれしいことだと私は思っています。

最後にぼんごさん、自身の価値観では健康のほうが成績なんかよりずっと尊いものだということを語る。成績が良いとか言って喜べるのは健康が大前提だと。健康であれば、成績がどうこうよりもそれだけで素晴らしいことなのよと、飾らない心情を吐いた。
成績よりも大切なものがある。何が大切かは人によって違うし、何が良くて何が良くないかなんて、一概には決められない。自分にとって一番いいことは何なのかを考えて追い求めること、それが生きるということかもしれない、と、僕は勝手に行間を読んだ。

結びにこそ、6年間ありがとうとか、同じ中学に行く人よろしくとか書いてあるが、ぼんごさんの作文には小学校生活で楽しかったこととか、思い出とか、これからどうなりたいとか、将来の夢とか希望とか、そういった類の普通がなかった。

あったのは「病気」という2語の現実を走りぬいてきた感覚で、はじめて集団生活を過ごした小学校の六年間は、どうやら自分は普通ではないと、気づくことの本当に多い時間だった。

がんばったと思う。えらいぞ。

小学校編はここで一区切り、次回からメインは中学校へ進んでゆきます。

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