ぼんごさんと高校:ぼんご大丈夫か②

パニック障害

ある教科の小テストを通じて、先生に異変を感じ取られたぼんごさん。
先生に呼ばれて、謎の体調不良のことを自分の言葉で語りはじめたのだった。

遮ることなく、先生はぼんごの話を飲み込んだようだった。

この時の会話に関してぼんごが覚えているのは「自分が自分の偽らざる心中を語った」ことで、先生から言われたことがこうだった、という部分はまた別の記憶になっていたりする。

このときは会話というか告白みたいな感じで、先生は、先生自身が頭ごなしに口を挟まないことで、ぼんごが意図的に心中を吐き出すように促していたのかもしれない。

ぼんごが苦手としていたそのことを、先生はうまいこと手ほどきしてくれたみたいだった。

また別の日、この先生に呼ばれた。

胃カメラをやってみるといいかも、と言われた。
先生の家族に医者がいて、相談してくれたらしい。

なるほど胃カメラか、とぼんごは肯定的にそれを聞いた。それで胃カメラも飲んだ。(不調の原因はストレス性の胃炎、ということで抜本的な対策にはつながらなかったが。)

また別の日には、こう言われた。
「気持ち悪いとか調子が悪いと感じたら、自分の授業はどれだけ休んでもいい」
「テストの時だけ頑張って来て、受けてさえくれたら落第はさせないから」
「私の授業の時に休みな」

この先生は、原因もわからず好転もしないぼんごの体調不良を肯定して受け入れてくれた。

ぼんごは、救われた気持ちになった。
この先生の授業の時は休んでいいんだ。
実際休むかどうかはその時にならないとわからないが、休んでもいい、という選択肢もあるという自由は相当に壁の中のぼんごを楽にしたのだった。ありがたかった。

こんな風にぼんごと先生は話をする機会がちょこちょこ増えていって、廊下で顔を合わせると声をかけてくれたり、呼び出して自分の様子を尋ねてくれたりすることが多くなっていった。

ある時は精神科に行ってみたらどうかと提案された。どこそこの病院ならすぐに診察してくれるようだという具体的なアドバイスもくれたりした。

この先生に対してぼんごは幼少期のぼんごのように素直に従うことができていて、先生のアドバイスに従って精神科にも行ってみたのだった。

精神科に行ったら行ったで効果的な治療法は見つからず、抑うつ状態にあるから不安を感じたら好きなことを考えなさい、という、足りなくなったら足せばいい、みたいなざっくりした対処法しかもらえず、ほぼ進展はなかったのだが。

精神科は、当時のぼんごの幼い想像力の中では怖いところという先入観がどうしてもあり、勇気を出して診察を受けに行った場所であったから、進展がなかったことには拍子抜けした。

独特な設問の問診票を真面目に書いて、あれらは何かの役に立ったのだろうかと疑問を感じたりもした。
精神科に行くということが親に知られたら心配を通り越してたぶん怒鳴られる。でもそのリスクを冒して保険証を借りてひとりで「ちょっと風邪っぽい」なんて嘘をついてまで来たのに、無駄だったのかと肩を落とした。
そしてぼんごはもうここには来たくないと思った。

精神科にかかったことも、学校の先生には話した。
楽しいことを考えればいい、なんて方法で治るならとっくに治っていると思うんですよね、と素直に吐き出した。
先生は、そうか、うまくいかなかったんだねと、その首尾についても肯定して一緒に悩んでくれた。

この科目の先生と担任の先生は、明確にぼんごの味方だった。

いま思えば、この2人の先生が各科の先生にかなり根回しをして、ぼんごの状況を理解して成績をつけてやってほしいと働いてくれたからこそ、落第せずに済んだのだとぼんごは感謝している。

コメント

タイトルとURLをコピーしました