ぼんごさんと高校:ぼんご大丈夫か①

ぼんごさんと高校

高2のころのこと。その日は授業を受けられていたぼんご。

ある科目で小テストがあった。
そのテストでぼんごは、解答欄のほかに自由欄があるのを見つけた。

勉強のことで先生に質問したりする欄だとわかっていたが、そのわずか15センチくらいの自由欄はどうも、壁の中でがんじがらめになっているぼんごにちょっとだけ外界の新鮮な空気を届ける穴のように働いたようだった。

「やる気が起きない。すべてにおいてやる気が起きない。」

これが、この頃のぼんごの偽らざる気持ちだった。

それから、ぼんごは相変わらず自分の体調を優先し学校を休んだ。
例のテストの授業も休んだ。

ぼんごの就学態度がまずいということはもはやぼんごの周辺の学生では知らない者がないような状況になっていて、ぼんご自身もそういった他人の冷ややかな目線や悪意のある評判をたびたび見聞きするようになっていた。

この頃は、ぼろぼろの壁の隙間でかろうじてそれらの圧力に耐えているような状態で、ぼんごの気持ちは見た目の普通さからは想像できないほどぼろぼろだった。考えるのも面倒で、自分なんてどうでもいいという気持ちが芽生えていた。

心ここにあらずの状態で廊下を歩いていたら、例の小テストの先生に声をかけられた。
「ぼんご、大丈夫か」
よく意味が分からなくてぼんごは曖昧に答えた。
「はあ」
「次の時間、すこし先生と話をしよう」
「はあ・・・」

ぼんごは教員室に連れて行かれた。

「ぼんご、お前大丈夫か」
「はあ」
「あんたさ、小テストに『やる気が起きない』と書いたよね」
ああ、とぼんごは思い出した。あの先生か。
「先生それを見てぞわっとしたのよ。この学校ってそんなことを書く子どもは珍しいから。」

この先生はぼんごの内実を特に知っている立場ということでもなかったが、教師の勘というのか、生徒の様子がおかしいということに意識的に気づくことができる人だった。
「先生に話せることは話してみな」
と、対話を持ちかけた。

この先生、一方的な話し方をするのではなく、壁の中のぼんごに語りかけることができる人でもあった。

話せることは話して、ということはつまり話したくないことは話さなくてもよく、そういう自由はぼんごの気持ちをとても楽にしていたのだと思う。

この時ぼんごは、医者以外の他人には話すことがなかった自分の謎の体調不良について、素直に語った。

高1の後半くらいから謎の体調不良の症状が出てきていること、もともと腎臓が悪いがそれが原因ではないこと、病院に行ってもはっきりした原因がわからないまま調子が悪い状態が長く続いていること、を自分の言葉で語った。

次回へ続く:ぼんごさんと高校:ぼんご大丈夫か②

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