ぼんごさんと高校:保健室の先生

パニック障害

パニック障害の発作(診断がくだるのはまだまだ先のこと)が起きたとき、ぼんごは保健室に避難することが増えた。

保健室の先生は若い先生で、ぼんごに優しく接してくれる人だった。

安心できる場所

症状が出てから保健室へ行くわけだが、気持ち悪さ、腹痛、めまい、息苦しさ、といった症状は目には見えないものだし、原因も明確なものがない状況であったから、保健室の先生が処置をする何かがあったわけではなかった。

それでも保健室の先生はぼんごにとって優しい人で、それは、ぼんごがつらいときに、この場所にいていいと、調子悪いんだったらしばらく休んでいればいいと、ぼんごの外形を優しく包んで見守ってくれる人で、あーだこーだとぼんごの様子を詮索することをしない人だったからだ。

ぼんごにとって保健室は、学校の中で唯一、居心地がいいと思える環境だったらしい。
ここなら安心していられると思える場所だった。

いまとなっては懐かしい、病院の一室で看護師さんと暮らす入院の日々を遠く思い出していたのかもしれない。

ぼんごは保健室に来ると、ベッドに横になるのではなく椅子に座って安静にして過ごすことが多かった。
何十分かじっとしていると発作も終わるので、楽になってくると保健室の先生とよく話をした。

なんの話をしたかは全く覚えていないらしい。
それを思い出そうと記憶をほじくると嫌なものも一緒に出てくるのであまり深入りしない。

どんなことを話していたにせよ、ぼんごがこの先生に抱く気持ちは安心感だったことは事実で、とても聞き上手な方だったのだろうと僕は想像した。

ぼんごは周囲の大人からあれをしろこれをしろ、それはだめどれもだめ、と指図される環境で過ごす時間が多かったから、ありのままの自分でいていいと認めてくれる人には優しさを覚えたのだと思う。
カムアズユーアーの精神かもしれない。

先生は先生でぼんごを心配してか、自分が出張で学校にいない日をあらかじめ教えてくれたりした。そういった日はぼんごは保健室に頼らないようにすこし気を配ることができた。

Wonderwall

ぼんごの脳内から抹殺された記憶の中で、先生から言われたことで明確に覚えていることがある。

「ぼんごとはよく話をしているのに、あなたの本心がわからない。心の中の何かを守っているような、隠しているような話しぶりだね」

といったことを言われたのだ。

そう言われて反射的にぼんごは「やばい、本心を見抜かれている」と感じたらしい。
それで、何故かわからないが本心を知られることが自分にとって都合の悪い事だと直感した。

どういう理由で都合が悪いことにつながるのかをちょっと尋ねてみたが当時の心境は抹殺されていてこれはわからなかったが、自分が心の中で何かを隠して他人と接しているということが相手に見抜かれてしまって、そのことに都合の悪さを覚えたという感覚は鮮明に覚えているらしい。

これは、ぼんごの人付き合いの中で、他人から自分の心情を見つめられたとき、そこに壁があるということを指摘されたようなものだった。

ぼんごはこれまで、この壁が他人からも壁であるということを意識して過ごしたことは無かったのだ。

自分の気持ちを守るためだけに無意識に編み出していた機構が、他者にも何らかの影響を及ぼしているということに意識的になる一瞬の出来事だった。

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