ぼんごさんと音楽(合唱部)

ぼんごさんと中学校

軟式テニス部はあきらめたが、学校のルールに従ってぼんごも部活に参加した。
小学校の時からの友達も一緒に入ってくれるというので安心して参加できた。

なんとなく所属

ぼんごが自分自身でこれならできると認識している数少ないことのうち、歌をうたうということは無理なく、ある程度自信をもってできることだった。

音楽は入院中もよく聞いていたし、小学校の時の音楽の時間も好きだったし、体力をそこまで使わなくて済んだし、音楽に触れること自体は苦にならなかった。

また合唱部の先輩は優しい印象だった。友達の話では運動部の先輩は厳しいらしいとか言うことだったので、合唱部の先輩はどんなんだろと心配もあったけど、ぼんごの心配をよそに優しい人たちばかりで、安心して部活に参加することができた。

合唱に憧れとかがあったかと言えばそうでもなく、学校のルールで何か部活に入らなければならないから、仕方なく自分にもできそうな合唱を消極的に選択しただけで、そんなに、熱心な部員ではなかった。

合唱も高みを目指せばランニングとか腹筋背筋といった筋トレなんかをする熱血の部活になってゆくらしいのだが、ぼんごの合唱部は良くも悪くもゆるい場所で、居心地も、良くもなければ悪くもなかった。

ほどほどに歌う

部活は週に3日あって、放課後に1時間から1時間半くらい歌を歌った。
アルト、メゾソプラノ、ソプラノ、の組に分かれていろいろ歌った。

「あーあーあーあーあーあーあーあーあー」(ドレミファソファミレドー)の発声練習から始まり、パートごとに練習曲の何番のパート練習をして過ごすことが多かった。

「川」「糸」「君をのせて」みたいな合唱曲も練習して、大会に臨むこともあった。部活の面々でぞろぞろと近所のホールみたいなところに出かけて行って歌って、予選落ちしてまたぞろぞろ歩いて帰る、というのが常だった。

部活にそんなに思い入れはなかったし、とりたてて合唱が好きってわけでもなかったし、冷めた子供だったのよ、わかるでしょ、と言われて、ぼくも思わずふむと納得してしまうほど、ほどほどに頑張っていたようだ。

小が中に変わったところで相変わらず学校に所属意識がないし、部活も同様だったらしい。
腎臓に負担になるなら、なんであれ部活は積極的にさぼっただろう。

とは言え、歌はぼんごにしっとりと染み込んでもいた。

いまでもたまに、元気が良くて陽気な時(飲酒したとき)に「キボ・キボ・マウエンジ」とかの呪文めいた言葉を元気いっぱいに歌いだしたりして、ぼくをビビらせる。

よく覚えてるなってほど歌の歌詞とメロディがすらすらと出てきて感心する。歌の記憶は深い。
歌を利用して勉強していたらめっちゃいい学校に行けたはずだと本人は語っている。

しかし当然というか、そうはならなかった。

合唱よりもおもしろい音楽に出会ってしまう日が、そのうちやってくるからだ。

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