高校の頃も腎炎は寛解を保っていた。
とはいえ激しい運動は制限されていて、水泳とか持久走とか、体力的に消耗する運動は禁止されていた。
病院から診断書をもらって学校にもそれは連絡されていたということだった。
体育の先生
しかし、高校の体育の授業では種目ごとに先生が違っていて、そういう連絡は完全には行き渡っていないようだった。
体力測定で持久走があって、走らないと単位をくれないと言う先生がいた。
ぼんごは「走れないです」と食い下がったが、冗談だと思われたらしく、まともに取り合ってもらえなかった。
それで仕方なくぼんごは生まれて初めて1000mを走った。
1000mを走ったのは後にも先にもこれきりらしい。
また、平均台を使った授業では、ひとりひとり演技をする回があった。
ダンス部とか運動部の友達は軽々と平均台に乗ってきれいにバランスをとって動いているところ、ぼんごはその、胸の高さくらいある平均台に初めて乗った。
台に乗って両手をついておしりから立ち上がり、ぶるぶるする足を鬼の形相で何歩か動かして、それでぼんごの演技は終わった。
授業の最後に先生が総括して、こんな風に言ったらしい。
「全体的によくできてる。6以上はとれてるかな。ひとりだけ3がいるな。」
ひとりだけのその3のやつは私なのだろう。
ぼんごはこんなことをみんなの前で言う先生の心境がどうしてもわからず、顔をしかめた。
どんまいぼんご
学校生活を一緒に過ごす友達にも、どうやらぼんごには持病があるらしいということは察されていたらしい。
学校の友達はどの子も良い子で、よくぼんごに気を遣ってくれた。
バレーボールの授業で一緒になったチームの子どもたちはとてもぼんごに親切にしてくれた。
ラリーが続いているときはよくできる子たちが「ぼんごのとこボール行くからカバーして!」「オッケー!」といった感じでぼんごのボールを代わりに拾ってくれたりして、チームを助けた。
サーブが入らなくても明るく、「ぼんご、気合い入れなくていいから!」「ぼんごどんまい!」とチームを鼓舞する声をあげてくれた。
自分の意志をまったく理解してくれないボール。
飛んでくるボールにどうしたらいいのかわからない自分。
ボールとまったく意思疎通ができない。
自分のチームは自分がいることでマイナスになっていて、人数が欠けた状態になっていて、みんなはそれを理解していて私を気遣って明るく接してくれているんだろうなと、冷静になる。
ぼんごは自分が情けなくなった。
ぼんごのサーブの回だけでどんどん点差が開いて行って試合にならず、とうとうぼんごは先生に止められてひとりサーブを打つ特訓に入ることになった。
視界の向こうで右に行ったり左に行ったりするボールを眺めるのは小学校のときから慣れ親しんだ光景ではあった。
ぼんご呼び出される
バスケ、テニス、マット運動、バレーボール、体操、陸上。なにもできない。とにかく、まともにできた運動はひとつもない。
体育のことを考えるだけで憂鬱になった。
必然、体育の授業はさぼりがちになった。
学校を意図的にパスすることを覚えたぼんごは、体育の授業を意図して避けるようになっていった。
学校に行ける日でも、体育の授業が終わった3限からにしよう、と計算して登校したりした。
するとある時、友達が教えてくれた。
「今日の体育で、ぼんごの欠席回数がXX回になっている、って体育の先生めっちゃ怒ってたよ」
で、すぐにぼんごは体育教官室に呼び出された。
先生の前に立つと怒鳴られた。
なんでお前は授業をさぼっているんだと、大きな声で威圧された。
身体じゅうの筋肉がこわばり、緊張していやな力がはいった。
おおきな声でいろいろ言われてそれに耐えるので精一杯で何も言えなくなった。
謝ろうとかそういう気持ちは無いのか、みたいな責められる言葉を、なんとなく覚えている。
泣いたって駄目だぞ、といった旨の言葉も覚えている。
怒鳴られて泣いてしまっていたらしい。
体育の先生のことは本当に嫌いだった。
個人的な成績を暴露するし、自分ができていないことをみんなの前で公然と宣言するし、怒鳴るし、学校というできれば避けたい環境のなかでも嫌いな人が多い先生たち、の中でも最悪に嫌いだった。
とくに、自分が頑張っても無理なこと、それしかできないことを、他人から劣っていると公に発表するようなことには耐えられなかった。
運動ができないのは自分が一番よく知っている。
でも頑張って授業に来て、やってるわけよ。
その、気持ちの部分は汲んでほしい。
成績が悪いのは承知のうえ。悪くてもいい。
ただ、この身体でわたしができたことを見て、それを積み上げた分だけ評価してくれればいいのに。
誰かと比べて自分は劣っている、なんて公然と宣言する必要があるのか、まったく理解できない。
ぼんごの涙にそういう気持ちが混じっていることを知らずに先生は怒鳴り続けて、お互いの意志は重ならないまま、無駄な時間が過ぎた。
ぼんごは余計体育が嫌いになった。
あのとき先生から「話を聞くよ、どうしてできないのか教えてくれ」と優しく歩み寄ってくれていたら、壁の中のぼんごがすこし顔を出したんじゃないかとぼんごは思い出したりする。ぼんごにはぼんごの理由があったわけで、それには迫ろうとせず凝り固まった根性論的な何かで一方的に威圧されるのはただ恐ろしいだけだった。
こんな感じで、自分としては精一杯やっているつもりでも頭ごなしに否定される瞬間に出くわす時、説明したいがそれを聞いてもらえる雰囲気もなく怒り狂っている人に対峙するとき、どうしたらいいのかと一緒に考えてみた。
そういうときはもう、相手の言葉を言葉として認識せず、たとえば心の中にでかいスピーカーを置いて大きな音で自分を守る音楽でも鳴らし、とりあえず相手の気が済むまで時間を過ごす、緊急回避策をとるしかないのでは、と僕たちはうなずいたりしました。
あと、普段から怒鳴っている先生は、突然態度を軟化させても、すでに壁が出来上がっているから信頼できないということでした。普段から怒鳴らないのが大切だと思いました。
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