ぼんごさんと小学校:体育

腎炎

腎臓に負担がかかるからと、ぼんごさんは運動を制限されていた。
入院している間はベッドから出てはだめとか病室から出てはだめとか、けっこうきつい制限をかけられていたものの、退院していて容態が安定しているときは多少は遊んだりもしていたらしい。 2021年現在は、軽い運動なら良いような記事もあったりする。ただやっぱり、激しい運動や競争が目的になっている部活動などは腎炎の患者には良くない。血中に老廃物質が増えれば腎臓の負担が増えるからだ。

運動へのあきらめ

学校では、体育の時間はだいたい見学だった。クラスメイトが何やら激しく動き回っているのを、校庭の少し離れた場所に座ってぼんやり見ていたり、体育館の壁にもたれて風景のように見ていたりした。プールも無理で、プール横の階段のようになっているところに座って見学していた。

自分もあんな風に動き回りたいな、いつか病気を治してみんなと一緒に体育をやるんだ、と健気に見つめていたのかと思いきや、そういう憧れのレベルは過ぎていて、ぼんごさんはそれまでに運動してきた経験がなく、運動することが楽しいとも思えなかったので、私はあの世界には入れない、と誰かの世界を覗いているような冷徹なまなざしを向けていたらしい。

もしあの輪の中に入ったとして、あんな風に動き回れるはずがない、私が動いてもあんなに早く動けない、どう動いたらいいのかわからない、と諦めの境地に入っていたようだ。そんなふうに私が運動に参加してもみんなに迷惑をかけるしそれは本意ではないし、結局運動は自分には無理で、楽しいことじゃないのだ。楽しいことじゃないことに憧れる意味はなかった。もしかしてもしかしたら、うまく動けるかもしれないと期待をしたこともあった。運動会で頑張って大玉ころがしに参加したけど、みんなの走るペースに全然追いつけなくて玉に触れないまま競争がおわったこともあったりで、うまくいかないことのほうが多かった。期待しても大抵はうまく動くことができなかったので、ぼんごさんはいつのまにか、運動ができる自分を肯定することをやめてしまった。

運動に対して、当時から今の今まで、うまくできて達成感を覚えたことは一度もない。できるイメージもない。やらせてくれないし、どうせ無理なのだ。そう達観していた。そう結論付けることで、動き回れる友達と、動けない自分とのあいだで惨めな気持ちを覚えたり、悔しがったり、苦しんだり悩んだりすることもなく、平穏でいられた。そういった、自分の限界を定めて受け入れることで得られる幻想のような自己肯定感は、たぶん「低い」もので、体育の授業以外にも、体調に影響を及ぼすとされる行動を伴うあらゆる場面でぼんごさんに壁を作っていったようでもあった。

たのしい審判

ある日、授業でドッジボールをすることになった。ぼんごさんはいつものように一人座って、赤い帽子と白い帽子の間を飛び回るボールをぼけっと見ていた。
子供たちはきゃーきゃー言っていたと思うが、自分のいない場所で起きている歓声は静かだった。のどかな日差しだった。

その様子を見ていた先生。たぶん、ぼんごさんが寂しそうに映ったのだろう。通知表のコメントには「みんながドッジボールをしている姿をみて落ち着かなくなってしまって」とある。

先生はぼんごさんに近づいて、ラインズマンをやってみないかと語りかけた。 先生に説明を聞いて、ぼんごさんはすっくと立ち上がった。

ラインズマンの仕事はそんなに激しくなかったので、疲れなかった。
ボールを見たり足を見たりして、「線を越えたよ!」と手を挙げるとみんなが従ってくれて、ドッジボールに参加できた気がした。それはとてもとても楽しい体験だった。

激しい運動はできなくてもいい。でも、楽しい体験はできるのだ。
何もかも制限するのは心のためによくない。せめて、何ができて何ができないか、本人に選択させる自由があるべきだと思う。

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