ぼんごの服選び

最近のぼんごさん

つい最近のこと。

気に入っていたズボンに穴が開いてしまったので、新しいズボンを求めて出かけることにした。

服は服屋で実物を見て買いたいぼんご。
僕たちは、どこにでもある庶民的な服屋さんを眺めて、破けたズボンの代替品を物色して歩いた。

良さげなやつを手に取って鏡に合わせて眺めて、また別のを試し、なんどか試着をしたりして、ぼんごと僕は服を探した。

ぼんごは、背は低い方だ。
だから、丈の面では小さいサイズのほうが合う。
だが、幅は広い方だから、大きいサイズでないときつい。

既製品の決まったサイズの服を試してみてもぼんごにぴったり合う服に出会うことがなくて、服を選ぶというよりも、自分の身体が収まる服を探していると言うほうが実情に近い。

既製品はサイズ的に厳しいという現実を目の当たりにして、それならと、「服に合わせて自分が痩せる」もしくは「自分に合ったサイズの専門店で探す」のが落としどころなのだろうかと、なんとなくそんなやるせない空気が二人の間に漂い始めていた。

服に合わせて自分が痩せる

「服に合わせて自分が痩せる」については、可能ではあるが、小さなころから腎炎のために運動習慣が無いため太りやすい性質のぼんご。普通の体形を維持するのになかなかの努力が必要になることがこれまでのダイエット経験からよくわかっている。

また、痩せるためには運動が欠かせないが、運動そのものが生活にそれなりに負担になる。
食事制限という方法もあるが、そもそもぼんごはそんなに食べるほうでもない。

理想の体型が本当に欲しいと思うならつべこべ言わずやることやんなさい、とその道の人々からは一蹴されるのかもしれないが、いつだって腎臓が天秤の片方に乗っかった状態のぼんごにとっては、痩せるための行動のひとつひとつが壁の外に置かれているものだったりもしていて、そういう行動を実践するに至らないことが通常営業なのだ。

服のために無理して腎炎を悪化させることはできなかった。
(とは言え、適度な運動は必要ではある。)

自分に合ったサイズの専門店で探す

それなら「自分に合ったサイズの専門店で探す」か。

この日見かけた大きいサイズ専門店は、ぼんごの体型にも合いそうな服があるにはあったが、まず予算に合わなかった。高い。

専門店だから値段が高いのは理解できるが、出費を増やしてでも服を選びたい訳じゃない。
繊細なことだが、普通の範囲に収まっていてほしいわけだ。

普通の値段で普通に服を選べる自分がそこにいてほしい。

ぼんごはもともと服が大好きで、以前は既製品も着られたし、個性的なブランドの服に心酔して一着〇万円を安いと感じたりもする時間を過ごしたこともあった。

が、再燃してステロイドパルスの治療をしたときに身体にむくみが現れ、運動も控えるようになり、その頃から服は体形に合わせて探すものに変わっていってしまった気がする。

自分に合ったサイズの専門店で服を探す行為は、ぼんごにとっては、普通を外れた自分をまざまざと見せつけられる行為といってもよく、腎炎が無ければ、ステロイドパルスをしなくて済んでいたら…と、気持ちの面の不自由さと引き換えに、しかもそれなりの金額を払って獲得する現実でもあるので、その一歩を踏み出すには相当の勇気なのか諦念なのかが必要で、今はまだ、この域にまでは達観していないという内面の問題がこれを拒むのだ。

服を選ぶ自由がある程度の制限なのだから、まだ恵まれているといえるのかもしれないが…しかし、服のために心を矯正することはできなかった。
(とは言え、腎炎と体形の現実は受け入れなければならない。)

NEOかわいい

本当はこうありたいのにそのようにはできない、じゃあ別の方法で実現すればいいのにそれは気持ち的に嫌。
という状態でいることが、よくある。迷いに迷ってどちらがいいのか決断できずただ時間が流れてゆくことがよくある。

結局この日は、ズボンを一着買いに行ったのだが、そのうち別の服も色々見始めて、合うものに巡り合わず迷子のような状態で服屋をはしごした。

途中、〇ニクロさんでゆったりしたオーソドックスな見た目のワンピースを見つけて何か天啓を受けたようなぼんごだったが、それがマタニティコーナーの一着であることに気づいてばつが悪そうに僕を見たときの表情のなんとも言えない寂しさ。笑うしかなかった。

ぼくとしてはぼんごが納得して着られればそれが一番だと考えている。
表情が曇る服より、自分を明るくしてくれる自分だけの服を探すといいと思う。

自分を明るくしてくれる服を探す旅にだったらどこまでもついてゆこうと思う。

その旅はいつもこの曲とともに始まってほしい。

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