ぼんごさんの入院生活:血漿交換

腎炎

看護師さんがベッドの横で言う。
「3、2、1、はい」
だんだん気が遠くなっていって、ぼんごさんの記憶はだいたいこの辺で終わる。
んがっ、と気を取り戻すといつもの病室にいるのだ。時計の針が4時間くらい進んでいた。

ぼんごさん自身が覚えている血漿交換の記憶はこれくらいしかない。

血漿交換とは

血漿交換とは、血中の血漿を文字通り交換する治療法のことだ。

ポンプで血液を体外に吸い出して、血液から血漿だけを分離させて、分離した血漿は捨ててしまい、新たな別の血漿を血液に混ぜて、ポンプを通じて体内に戻す。

ぼんごさんが患っている紫斑病性腎炎の要因となっている謎の免疫複合体(IgA)は血中を漂っているのだが、それは血漿に含まれているので、血漿を交換すれば、ひとまず謎の免疫複合体を、腎臓を介さずに体外へ排出することができる。

血漿を交換しても、謎の免疫複合体ができてしまう原因を断てるわけじゃないので劇的に回復することは無くて、進行を抑制するようにしか働かなかった、はずだ。たぶん、腎臓の数値が悪いときに、腎炎の進行を抑える目的で血漿交換をしたのだ。

交換する血漿には、献血などで集められた人間の血液から取り出された血液製剤が用いられる。
(参考:厚生労働省:血液製剤とは何か
どこかの誰かが献血してくれた血液のおかげで、ぼんごさんの腎炎はいっときでも進行を食い止めることができていたみたい。その方の血液はきっとぼんごさんの身体のどこかで頑張ってくれて、ぼんごさんの一部を物理的に支えてくれた。ありがとう。

血漿交換がある生活

血漿交換をすると、古い血漿のほうに残る正常な抗体も一緒に捨てられてしまうため、一時的に体調を崩しやすくなるということを医師から告げられたりもした。だから血漿交換をしたあとは大人しくしていたほうが身のためなのだが、もともとたまご生活なので、血漿交換をしてまたたまごに戻る暮らしだった。

全身麻酔だったのでつらさを感じることはなかったみたい。逆に言えば子供にとっては全身麻酔なしではとてもつらい治療なのだろう。

専用の設備が必要で、血液製剤もたくさん使用することから、高額な治療になっていて(ぼんごさんが治療を受けた当時のこと、お母さん談)、一回あたりうん十万みたいな金額になることもあったらしい。そんな治療をぼんごさんは幾度となくうけてきた。

血漿交換をするとなると治療費の工面が大変で、ぼんごさん一家はお金を無駄にしなかった。
紫斑病性腎炎は難病指定の病気だから医療費は後で申請して全額控除(1980年代当時)とはなったが、病院への支払いが大変だった。そのためお父さんもお母さんも一生懸命働いて、無駄遣いはしなかった。お母さんも働きに出ていたため、ぼんごさんの妹は幼稚園の頃から鍵っ子だった。

ぼんごさん一家は、ぼんごさんの腎臓を中心に回った。
そうしないとぼんごさん、ベッドのまま病室をでていってしまうかもしれない。

とくにいちばんそばにいたお母さんは身体的にも精神的にも並々ならぬ緊張感をもって、ぼんごさんとの時間を過ごした。この頃、心身ともに疲労を溜め込んでいたお母さんは、一日でもいいからぼんごさんの身体のことを思わず、なにも心配することがない日がやってきてほしいと心の中で願っていたらしい。
ぼんごさんの身体の問題はお母さんの心の中にも大きく陰を作るようになっていた。

昔の話を聞くたび僕は、情けないことに、遠い過去の出来事をどこかの誰かの話のように聞いているという感覚がないでもない。

しかし、難病のこどもと家族がこの時代に一生懸命生きていました、そしてその家族は形を変えて今もどこかにいて、家族一丸となって頑張っているはずだ、ということはここに記しておきます。

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