こども病院というところ

腎炎

4歳の終わりから、ぼんごさんの身体の中ではアレルギー性紫斑病と紫斑病性腎炎が併発の状態にあった。ぼんごさんは入退院を繰り返す生活を送るようになる。

入院の前には体のいろいろな変調がおきた。最初は風邪のような感じらしい。アレルギー性紫斑病では血管に炎症が起きるので、風邪のような症状の後は全身にわたって様々な症状が出る。ぼんごさんの経験では発熱、倦怠感、腸炎、血尿、血便、腹痛、紫斑といったことがあった。なにが来るかはわからない。どこで炎症が起きるかによる。

体調が悪くなると意識も朦朧としてくるため、ひどい時のことはあまり覚えていないらしい。が、腸炎の時はつらかったそうで、おなかをうにゃーっと捩じられているような痛みが続いて、まるまってぴーぴー泣いていたという。これらの紫斑病の症状の陰で、きっとなぞの免疫複合体が腎臓にまとわりついていたんだろう。

腎臓は回復することがない臓器で、一度悪くなってしまうと元には戻らない。短期間で紫斑病が治れば腎臓への影響も少ないのかもしれないが、ぼんごさんの場合はアレルギー性紫斑病と紫斑病性腎炎を繰り返す状況にあったため、腎機能がだんだんと低下してゆき、やがて、腎炎のほうがより深刻な身体の問題となってしまった。

町の病院へ腎炎で入院すると、ぼんごさんは「たまご」になった。たまごとは、ベッドの上でじっとして動いてはいけない状態のことだ。たまごのように安静に過ごさないといけない。何してたの、と尋ねたら辛かったのであまり記憶がないという。2週間くらいはたまごにされていたらしい。トイレもベッドでおまるだった。

たまごの時期が過ぎると「ひよこ」になった。ひよこになると、ベッドを降りて病室を動いても良いようになった。動いていいといっても遊ぶ元気などは無くて、病室の隅にある洗面台までよろよろ歩いて歯を磨いたりするくらいしかできなかった。ひよこになってもトイレはおまるだ。お風呂はなし。ベッドの上で身体を拭いて終わるらしい。ぼんごさんは入院生活のなかでお風呂に入ったことがない。そのせいか・・・今でもお風呂は無くてもいい人だ。(僕は入ってほしい。)

ぼんごさんの場合、入院は治療というより、腎炎の悪化を招く要因を排除するための隔離生活だった。腎臓をよくすることはできないため、それ以上悪くなることがないように、病室でたまごから頑張るしかなかった。このころから、ぼんごさんは日常生活のなかで、やってはいけないことが増えた。たまご、ひよこ、のかわいい響きと裏腹にそれは生活の制限そのものだった。

ひよこの時期も過ぎると今度は「にわとり」になれるよ、と言われた。にわとりは病棟内の決められた区域なら動いていいとされた。トイレに行ったりナースステーションに行ったりしてもいいらしい!にわとりになると、しばらくして退院できたらしい。

何度目かの入院のときのこと。
そのときのぼんごさんはひよこからにわとりになれなかった。
そして町の病院から転院をすすめられる。もっと設備の整った専門の病院への転院をだ。
転院先はこども病院というところで、難しい病気の子供を集中的に治療する専門的な総合病院だった。子供だけを治療する専門の総合病院は2~3都道府県にひとつ程度あるが、ぼんごさんの家から近いこども病院へは通院できる距離ではなかった。そのため家族はこども病院のある町へ引っ越した。

ぼんごさんはひよこのままこども病院へ運ばれていった。
こども病院は広々して開放感のある大きい病院だった。
先生や看護師さんは穏やかで優しくて、みんなゆったりとしていた。
外の音が聞こえない静かな場所で、こどもたちもみんなゆっくり動いていた。

ぼんごさん(6歳)は「ここは普通の病院じゃないな」と直感したそうです。

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