悩みは続くよどこまでも

最近のぼんごさん

最近の出来事をすこし書いてみます。

モゴ・サン・モゴ・サン

先月、韓国ドラマの「マイ・ディア・ミスター 私のおじさん」を見ていたぼんごと僕。

めちゃしぶい良い声の中年のおじさんと、借金を抱える若い女性の人間模様を中心とした物語で、派手派手しい演出はないものの、なかなか先の見えない展開を踏むストーリーの面白さがあり、人間の心の揺れ動きをしっかり捉えて見る人を惹きつけてゆく良いドラマだと思った。

そのドラマの中に、主人公のおっさんのご近所の人たちが集う飲み屋があって、そこで、おっさんとその兄弟は毎日のように酒を飲んで過ごしている。

主人公はドンフン。3兄弟の真ん中で、兄と弟に挟まれている。人の好い性格に描かれていて、自分のことは譲りがち、いつも兄と弟に遠慮して過ごしてしまう、というか他人の顔色を伺って過ごしてしまうともいえるのか、自分の本心を周囲に隠すように過ごしている。

末弟はギフン。血気盛んでいつも口調あらく情熱的、自分の考えをストレートに表現してしまうことで人間関係に問題を抱えるも、相手のことを真剣に考えるあまりどうしても感情的に行動してしまう熱い男で、どちらかと言えば、周囲から諫められる瞬間が多い人間に描かれている。

長男はサンフンという白髪交じりの男なのだが、仕事が思うように行かずお金に困っていて、高齢の母親にもいつも心配されてばかり。自分が家を支えないといけないという自負がありながらも、それができていない自分を認識しており、親や兄弟に長兄らしいことができていない、むしろ迷惑をかけながら生きていると負い目のようなものを感じながら細々と毎日を過ごしている。身体が弱いような描写がたまにあって、体力的にも年相応になっている風だ。

そんな長男の彼が唯一自分の弱みを吐ける飲み屋に来て、大好きな酒をやりながら、チャミスル的な緑の焼酎を空けながら、自分の縮こまった人生について語るのだ。

「モゴ・サン・モゴ・サン」

字幕にはこんな感じで表現されていた。

「自分の人生は食べて出して食べて出して、の人生だ」

思い通りにいかなかった半生を振り返って、自分を永らえさせるためだけにただ無為に過ぎていったかのような時間を惜しんで、悲哀とともに吐き出した言葉だった。

2022年7月中旬、ぼんごの気持ちを代弁するのにこの言葉はうってつけのものだった。
このセリフがぼんごの実生活に刺さったらしい。

何をしてもうまくいかない。
自分はただ、食べて出してを繰り返す生き物なのか。
ぼんごの心は自問自答する状態となった。

我が家ではその精神状態は「モゴサン状態」と名付けられた。

仕事がない

2022年の春から初夏あたりにかけてはコロナの感染者数は減少傾向が強く、ぼんご家の人々もみなワクチンを3回摂取できてもおり、そろそろ活動的になっても大丈夫かしらと意欲的になり、ぼんごは職探しを始めていた。

メールを出し、書類を出し、面接をし。

すぐにガチガチ緊張マシーンと化すぼんごさん、抗不安薬を飲みながら緊張を追いやって、就職活動に臨んでいた。派遣会社の営業の、よくわからない言い分に疑問を感じながらもぐっと耐え、普通の社会人はこうなんだと自分に言い聞かせて、面接の時間を耐えた。

ぼんごはぼんごなりに、当然のことだが、自分の考えを素直に気持ちの真ん中に据えて頑張っていた。フルタイムで週5の勤務は体力的に厳しく、腎臓に悪影響が出るのは目に見えているので、自分の身体に負担を与えない程度の仕事量の事務職の募集に応募していたわけだ。

だが、いざ面接に出てみると、提示されていた勤務形態と異なる働き方を求められることもあって、例えば月末月初だけは週5フルタイムでお願いしたいとか、ぼんごさんは土日もオッケーな人です、と派遣社員の営業に勝手なことを言われたり、募集要項には記載されていなかったことがぼろぼろ出てくる。

もしかしたら働けるかもしれない、のだが、以前に勤めていた時は自分を無理やりに普通の枠組みにはめ込んで病気のことを隠して仕事をしていたら普通にクレアチニンが上がって結局ステロイドパルスの治療をすることになってしまったので、次に働くところでは自分の身体に無理をさせない勤務条件をを守ってくれる職場であることが絶対に譲れなかった。

条件にそう書いてあるんだからそうだと思うでしょ。
ところがよくよく話を聞いてみると違うのだ。

で、普通の感覚で言えばここは自分が譲るところなのかもしれない、ということを圧で感じる。
たぶん、自分がそれでよいです、と言えば双方丸く収まるのだろう。

自分の希望はそうではありませんが・・・週5フルタイムで構いません、土日も出勤できます、頑張ります、と言えれば。

この壁を自分で内側から壊して進めば、そこに到達できるのだ。
ただし、腎臓は確実に悪くなるが。

結局、自分の腎臓条件に見合った仕事は見つからず、こんなことを何度か繰り返し、ぼんごの頭はぐるぐる回り、やがて、やっぱり自分は普通に仕事もできないということで落ち込み、人生を振り返って悲しく思い、いつだってそうだったと涙を流して、マスカット味のチャミスルを一杯やって、韓国ドラマを見ながら「モゴサン状態」に突入してゆくのだった。

そういう努力

難病の方の職探しはかなり難しい。
いろいろな病状があるためひとくくりに言うのは失礼な言い方になると思うが、僕がぼんごを見る限り、厳しい。

ぼんごの場合は、よく、自分はそういう努力をしてこなかったのが良くなかったと嘆いている。
難病でも、自分の身体にあった仕事を得られるように、そういう勉強をしてくればよかったと後悔しているようだ。

勤務時間が少なくても周囲から必要とされる要職とか、家で自分のペースでできる職を手に付けるとか、資産形成を早くから行うとか、そういった、自分の身体に見合った稼ぎ方を身に着ける努力を、だ。

ただ、ぼんごは、そういう努力ではなくて、普通に混じる方向の努力を頑張ってきた人なのだ。
とくに寛解して以後、腎炎を自分のアイデンティティから外すことを半ば強制されてきたような人生なのだ。

普通に混じることを目標に頑張っていたのに、いまではそれが仇となって生きづらさの一端になってしっまってもいる、とぼんごは感じている。

普通に混じる必要なんかなかったと、過去の自分に教えてやりたい。
その身体を使って賢く生きていく方法を自分で見つけ出すのだと教えてやりたい。

過去を振り返っていつも後悔ばかりしてしまうぼんご。
生きるとは何なのか、その疑問は生まれてこのかた、いつもぼんごのそばにある。

モゴサン状態のサンフンのような生き方もあれば、村山聖のような生き方もある。

僕としては、ぼんごの人生はこうだったということを書き残してあげたい。
もしそれが、同じような境遇の方の生きる助けになれば、ぼんごのモゴサン状態にも、ぼんごの人生にも意味が生まれたような気がして本当に嬉しい。

「マイ・ディア・ミスター 私のおじさん」の主題歌。
とてもいい歌です。

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