ぼんごぶろぐ開設の思い

最近のぼんごさん

旧年中はぼんごぶろぐをお読みいただきありがとうございます。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

今回は年頭のご挨拶もかねて、ぼくが、このブログをはじめようと思ったときの気持ちを書いてみます。

むかしむかしのこと。
結婚する前から、ぼくはぼんごから身体のことを話してもらっていたため、紫斑病性腎炎のこと、パニック障害のことは知っていました。

仲良くさせてもらうにつれて、普通に、どんな暮らしをしてきたとか、思い出の出来事だとかをお互いに話をするなかで、少しずつ昔の話を聞かせてもらいながら、だんだんと病状や過去の出来事を積み重ねて理解を深めていったような格好です。

幼少期から入退院を繰り返す生活だったこと、日常生活に制限があるのが当たり前の暮らしだったこと、腎炎の治療のために両親、きょうだいに犠牲を強いたこと、あきらめたことがあること、望まないことがあること、いまも腎炎は継続しているのだということ等々、健康で環境的にも安定した暮らしをしてこられた人には想像しづらいであろうことが沢山あったのだなあと感じたのをよく覚えています。

が、外見上なんの特徴もありませんし、断片的な普通を共有している限りは病気が顔を出すこともありませんから、それらの話を聞く前のぼくは、ぼんごはまったく普通の人であることを信じて、というかそれを疑うことのきっかけすらもありませんでした。

ですから、話を聞くにつけ、こういった難病を抱えた方の暮らしぶりや、とくに腎炎を長く患うことが生活に与える影響のことや、長患い自体が心の面にも方向性を与えることだとか、一見してわからない病状を他人にわかってもらうことの煩わしさや寂しさ等々、健康な方にはわからない問題を、この人は人知れず乗り越えてきたのだなあと、驚かされていたことを覚えています。

ぼくには、そういった「乗り越えてきた」人生はとても格好良く映りました。

だから、自分の体験を何でもいいから形にして残してみればいい、そうしたらきっと誰かがぼくと同じように感動したり、共感したり、勇気づけられたりするだろうと考えて何度となく書くことを勧めてみたりしたのですが、自信というものがかけらもないぼんごさん、自分自身のことをうまくまとめて書けないということで、代わりにぼくが手となって書いてみようと思ったのが、このブログの開設のきっかけです。

また、途中途中でぼく自身の考えも書かせてもらっていて、それはぼんごと一緒に暮らす時にぼくなりに整理した考え方の端々であると思っています。長患いをする方の周囲にいる方にも、多少なりとも生活や気持ちの面で楽になったり、参考になることがあってお役に立てたら、嬉しいと感じます。

ぼんごもぼくも、たくさん書きたいことがあります。
ふたりとも文章を書いたり何かを作ったりするのは好きでしたから、一緒に何かを作っていられる状況を迎えることができて、楽しい気持ちもいっぱいあります。

しかし一度に大量にはできませんから、本年もじっくり少しずつ、週1回くらいの更新をめどに、がんばるんだぞ、ぼく!ぼんご!

いつかベッドのまま運ばれてゆくその時が来る前に、書きたいことは全部ここに置いて行こう。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

ぼんごぶろぐの僕

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