ぼんごさんと中学校:鉛筆を貸さない

ぼんごさんと中学校

ぼんごのクラスに、身体に障害のある子どもがいた。
その子は健常な子どもと一緒に学校生活を過ごしていた。
装具を使っていたから、身体が自由でないことは誰の目にもわかった。

試験の日

そのTさんとぼんごは、席が隣同士だったことがあった。
最前列の、先生に良く見える位置で隣り合って黒板を見て過ごした。

隣同士だったので、普段どんなふうに授業を受けているかが良く分かった。

Tさんは、鉛筆を噛んだり机を舐めたりすることがあった。
ぼんごにはそういった行動は何が楽しいのか理解できなかったけど、特に学校生活に支障があることでもないので、気にせず授業を受けた。

試験の日がきて、チャイムと同時にぼんごは問題に向かった。
教室中が静まり返って、こつこつと鉛筆が回答用紙と堅い机に擦れる音だけが鳴った。

集中して問題を解きつづけて、ひと段落したところでTさんの様子が目に入った。
Tさんは、そこに座ってはいるものの、回答を書いている風でなかった。静かにしてただ問題を眺めていたようだった。ぼんごは気にせず自分の回答の続きを書いた。

担任の先生がゆっくり歩いて来て、Tさんの様子に気づいた。で、何やら話し始めた。
「Tさん、どうしたの。回答を書きなさい」
静かに話す声がする。
「筆箱を忘れてしまって」
先生はぼんごのほうへ顔をむけて、Tさんに鉛筆を貸してあげて、と頼んだ。

ぼんごは、Tさんの鉛筆の扱い方が個性的だったのを知っていたので、貸すのを渋った。
いやだな、自分の鉛筆が舐められたり噛まれたりしたら気持ち悪い。顔をしかめて先生に態度を示した。
ほら、と先生は貸すことを促してくる。
ぼんごはさらに眉をしかめた。
そんな、意地悪しないで貸してあげて。ほら、はやく。
ぼんごはちいさく首をふった。
先生、顔つきを大人の顔にして、威圧するように顎で促した。機嫌悪そうな顔。怖い目。

今にも怒鳴られそうだったので、仕方なくぼんごは鉛筆を差し出した。

面談

後日、学期末に進路相談かなんかの面談があった。
通信簿をもらって、どういう勉強がしたいとか、どういう高校に進みたいとか、ぼんやりとそんなことも相談し始める時期だった。

面談の中で、こんなことを言われた。
「お前はテストの点はいいが、Tさんに鉛筆を貸さなかったな。障害者だからって差別したろ」
冷たい目。
「Tさんは障害があるのに毎日たいへんな思いをして学校に通っているのに」
「お前は障害者を差別する、人間としてだめなやつだ。先生は嫌いだよ」
といったことを一方的に言われた。

鉛筆を貸したくなかった理由を尋ねられるでもなく、こうあるべきじゃないか、と諭すわけでもなく、ぼんごの想像力を促すわけでもなく、ただ、先生は気に入らなかったということをかなりぶっきらぼうに言われた。

一方的に責められて、ぼんごは帰らされた。

不満いっぱいの歩幅で廊下をあるいて、気持ち悪い風が身体の中に渦巻いているみたいだった。
自分にはどうすることもできない無力感というか、虚無感のようなものがあった。

身体の自由が利かないことはよくわかるよ。見ればわかる。
私だって腎臓には障害があるよ。
それを理由に差別される気持ちもわかるよ。
まったく、さみしくなるよ。

私が鉛筆を貸し渋ったのは障害があるからじゃない。
ただ鉛筆の扱い方が気になっただけなんだ。自分の鉛筆を噛んだり舐められたりすることを想像したら気持ち悪くて。

この私の気持ちは差別なのか。
人として間違っているのだろうか。
嫌だと思っても心の中にしまって耐えろということなのか。

釈明する機会すら与えられず、何か大きな不満をお腹いっぱいに抱え込まされて吐きそうになりながら、それでも耐えるのが間違いのない人間というものなのか。

私の気持ちは。
私の気持ちは理解されない、先生にとっては理解されようとすらしないもの。

私にとって学校生活で唯一みんなと同じように出来る気がしている勉強だったのに、鉛筆の一件でこの先生の教科は成績が下げられたらしい。テストの点と評価が釣り合わない。

私だって学校生活を満足に過ごせている気はしない。どこにいて何をしていてもいつだって壁を感じて過ごしている。そんなこと、先生は知る由もないんだろう。

自分がどんなに努力をしたと思っていても、評価される相手にとって都合の良い伝わり方になっていなければ認めてもらえない。相手が当たり前と思っていることが実は頑張って努力した結果だったとしても、それは相手にとっては当たり前の評価でしかないのだ。

学校というところでは、先生に気に入られなければ、自分がどれだけ努力しようが先生の一存で成績が決まってきてしまうのか。こんな理不尽なことが実際にあるのか。

私の気持ちは。
私の気持ちは、誰かにわかってもらえることがあるのだろうか。

私の見えない不調は誰かに伝わることがあるのだろうか。
もしかして、このさきの人生、ずっとこういった理不尽が自分に付きまとってくるのではなかろうか。

思えばTさんは、自分が筆箱を忘れたのに、先生はそれについては寛容だった。Tさんは目に見えて頑張っているからということなのか。Tさんの障害は目に見えているからなのか。

先生が鉛筆を貸すことだってできたはずだし、私は渋々ではあったが鉛筆を貸した。それなのに、私は人間としてだめとまで言われた。貸した事実は無視された。

差別を持ち込んだのは先生のほうだと、この話をきいた僕は思った。
むかつく先生だね、と一緒に愚痴った。

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