ぼくが見たぼんごさん

最近のぼんごさん

このブログでは、紫斑病性腎炎、IgA腎症のぼんごさんの生活をありのまま書かせてもらっている。
そのうちパニック障害も登場してくる予定だ。

悩み多く過ごしてきたぼんごさんの半生の総括のような意味もあるし、ぼんごさんと同じような境遇に悩む方に少しでも何か生きるヒントが伝われば望外の喜びと思って書いている。

昔から、ブログやってみたら面白いものになるんじゃない?って本人に書くことを促していたけど、自分で自分自身のことを書くのは難しい、無理だと言うので記事は僕のほうで作らせてもらっている。

記事を作るにあたって本人によく取材をする。
取材、と言っても日常の話とそんなに変わりはない。

入院してこんなことがあった、学校でこんな風に思った、友達と遊んでいてこんな事件が起きた、自分の身体についてこんな風に思う、つらいことがあった、つらくても自分なりに考えを収斂させながら生きてきた、などなど、普段から話してもらっている断片的な記憶や考えを話してもらっている。

いつもお酒を飲みながら話をするのと違って、しらふで、テーマを決めてメモを取りながら、あまり脱線しないように、大事な部分を意識しながら話をしている。いつ何の話が出てくるかわからないので、ブログの進行も順不同になっていて、できるだけ目次で時系列を示せるようにはしている。

パニック障害の後の話もじゃんじゃん聞こえてくるが、今はとりあえず腎炎が寛解するあたりまでを集中して書いている。そうしないと時間が飛びすぎて混乱につながると思うので。

話をしていて、気になることがある。
それは、幼少期の腎炎の闘病の具体的な治療方針についての情報が少ないということだ。

いまみたいにデジタルで簡単に情報をためておけなかった時代のこと、また記憶の曖昧さもあるし、ある意味腎炎を忘れようとして過ごしてきたその後の生き方のこともあり、またお母さんにはこれを聞ける雰囲気はないし、幼い頃の闘病記録は霧の中にたまに現れる街灯のようなぼんやりしたイメージとしてやってくる。

あるのは「腎臓手帳 ―わたしの腎臓―」くらい。
しかし素人の僕が見てもこれが何を意味しているかを掴むのは大変。

僕としては、例えば、微力ながらもこういう治療方針だった、こういう生活がいい、こういう食べ物がいい、みたいにためになる情報があるといいのではと考えたりする。実際にぼんごさんが経験してきた生活はこうだった、と紐づけて書ければ、同じ悩みに直面する方々にも何か価値があるものに近づくかもと考えるからだ。

ということでいろいろ話を聞き出そうとするのだが、なかなか、ずばりこれが正解、という治療方法を探ることができずにもやっとすることが多い。

まったく専門家でも研究者でも医療関係者でもなんでもない自分がそんなことを語るのもおこがましい気持ちも多分にあるのですが、たとえば風邪をひいたならこの薬を飲めばいいとか、この病気にはこの特効薬があるとか、そういった表面的であっても有益な情報にたどり着くことができればそれはそれで安心できる気持ちにもなり、なんとなく、病気に対する武器や防具を得たような気持にもなれるというもの。

しかしなかなかこれにたどり着けずもやっとする時間のほうがはるかに多い。
なんなのだこの捉えどころのない不安のようなものは。

このへんではたと思い出すのです。
そうだった、IgA腎症は難病なのだと。

いまもって原因が不明で治療法も完全には確立されていない曖昧な病気だったのだと。
そして自分の考えのほうの曖昧さを反省したりする。

僕は、健康な状態から何かが低下してそれがもとに戻る、のようなストーリーを、闘病という生活の中に無意識のうちに思い描いてしまっていて、原因が改善されれば「普通」になる、という普通ありきの闘病生活をなんとなく期待してしまっているのだと思ったのだ。

どうすれば普通になれるか、それを探し始めてしまうことの無慈悲さを思い遣った。
あれをしなさい、これをしなさい、あれはだめ、これはだめ。もし僕がこういったことをぼんごさんに意見しだすとしたら、それって、普通を強要するのと変わりがない。しかも特効薬も完全な治療法もない五里霧中の暮らしの中で口で言うだけだなんて無責任というもの。僕自身が腎炎、また同じような境遇にでもならない限りはぼんごさんの気持ちは実感できないはずなのだ。

いままで散々見せつけられてきた普通と自分との壁をさらにここで強要することが僕のしたいことじゃない。
病気も含めてぼんごさんの人生なのだ。その時間をどう過ごしたいかはぼんごさんが決めること。

縁あって同じ時間を過ごすようになって幾年月。
いつまでたってもきっと悩みは尽きないのだろう。

身体のことは不幸とは思うが、だからといって幸福がないわけでもない。
何が普通なのかはぼんごさんが決めていい。それができるくらいの知性があることも知っている。

だからぼんごさんはぼんごさんの道を行けばいいと思う。
それがいびつな形になっているとしてもそれはそれだ。
普通にとらわれて自分を殺すなと声を大にして言いたい。

応援歌はこれだ!

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