ぼんごさんと小学校:バスケットボール ②

腎炎

バスケットボールでの態度について、無視宣告の手紙を受け取ったぼんごさん。
授業そっちのけで手紙を読みふけった。

普通への理解

手紙には、昨日のバスケットボールでのぼんごさんの態度がふざけているとか、不真面目だとか、それにかこつけて人格を否定するような良くない言葉が並んでいた。

昨日、バスケットボールに抱いた好奇心から、純粋な気持ちでやってみたかったことに挑戦し、うまくはいかなかったけど、自分としては頑張ったつもりだった。初めてボールに触ってうれしかった。初めて体育に参加できてうれしかった。普通に混じれた気がした。

読み進めてゆくうち、ぼんごさんの呼吸は細くなった。
想像していたことと、実際に起きたことが全く違う。ぜんぜん頭が追い付かない。私は何か悪いことをしたのか。なんで無視されている、なんでこんなことになってるのだろう。

スポーツはチームで戦うものだ、あんたが不真面目なせいで負けた。
みんな一生懸命やっているのだ、あんたの態度はみんなの気持ちを傷つけた。
あんたは邪魔だ。
あんたは私たちの仲間じゃない。

まったく頭が追い付かない。
なんで悪口を言われてる。

初めてバスケットボールができて、体育に満足に参加できてうれしかったのに。
ここまで人間性を否定されるようなことを、私はしたのか。

ぼんごさんは昨日今日の出来事を振り返り、手紙の中に表れた「普通」を理解しようと努めた。

たぶん、そうなのだ。
普通の世界では昨日の私のバスケットボールの態度は有り得ないことだったんだ。

たとえばバスケットボールにかける元気な子どもたちのことが書いてある本があるとして、みんな勝利をもとめて頑張っている。みんなてきぱき動けて、練習もたくさんしていて、みんな上手。
そんな中に全く働けない子が混じって足を引っ張った。そのせいでチームに迷惑をかけた。
私がいけなかったんだ。私はその物語の登場人物ではなかったんだ。きっとそういうことなんだ。満足に運動ができないということは惨めなことなんだ、周囲に迷惑をかけるようなことなんだ。
ぼんごさん、胸が苦しくなった。

そんなふうに出来事を総括して、ぼんごさん、この普通の女子の世界で生き残る術を計算した。
バスケットボールのことは全く自分に悪気はなく、悲しくてやりきれないけれど、学校生活はバスケットボールだけじゃない。バスケットボールのほかにも色々な学校生活があるのだ。ようやく普通に入れてもらえるかもしれないときに無視されているなんて嫌すぎる。
まず謝らないと。謝って早く許してもらわないと。そうしないとこの普通からつまみ出されてしまう。そうしたらせっかくの学校生活が取り返しのつかないものになってしまう。

ぼんごさんは胸が苦しかったけど、心の中に壁を作って我慢して、謝辞をふんだんに盛り込んだ手紙を作って回した。初めて球技に参加したの、初めて体育に参加したの、自分はあれでも一生懸命だったの、といった自分の本当の気持ちは押し殺して、ただ服従の意を示すへりくだった文章を冷静に作った。
それはテストの回答を作る作業に似ていた。頭が良かったから作文は得意だ。

普通は怖い

次の日、学校に向かうぼんごさんの足取りは重かった。

やだなあ。学校に行きたくないなあ。
昨日のことって現実なんだよな。今日も無視されるのかなあ。などと不安を抱いて歩いた。
これって、いじめなのかなあ。

学校につくと下駄箱に手紙があった。
例の活発な子からだった。ぼんごさんはいやな気持ちでそれを開いた。

そこには、ぼんごさんの予想とは裏腹に、謝ります、という意味のことが書いてあった。
曰く、あの時はごめんね、ひどいことを言ったり、無視してしまったりして。でも。ぼんごが謝ってくれたから、許してあげるよ。ということだった。

作った手紙が上手く働いて、とりあえず無視は解消されたようなのでそれは良かったが、このときぼんごさんが思ったことは、人間関係は怖いということだった。
許す、許さない、というのはひどく一方的な言い方に聞こえた。

世の中には、他人の様子を見かけて、その内実を知らずに、ただ不快に思う人もいるんだ。
私がはじめてボールを持ったこと、体育に参加できたことなんて誰も気にもしないんだ。
普通の世界にだけ生きている子は、私がどういう気持ちでここにいるか、どういう気持ちで体育に参加しているのかなんて全く理解してくれない。

普通の世界では、相手の意志は理解されずに、相手が何ができるか、で評価されてしまうんだ。
あの子は足が速い、バスケットボールが上手い、勉強ができる、歌が上手、楽器が上手、あの子は可愛い、あの子は優しい。
そういった、誰の目にもわかる結果がとても大事なんだ。

私には何もできない。みんなが普通に出来ることでもスタートラインが違う。
私は、友達みんなが評価の対象としていることについて、みんなが評価してくれるようには出来ない。とくに運動はぜったい無理だ。学校に来るのだって6年生になって初めて入院せずにやってこれているのに。

何ができるかで評価されてしまう、友達の関係もそれで不安定になってしまうなんて、普通の世界はなんて怖いところなんだ、とぼんごさんは感じた。

自分にできることは勉強くらいだ。
他のことは人並みに出来ないかもしれないけど、勉強は頑張ろう。
ぼんごさんはそう思った。

腎炎の容態が安定するにつれ、こういった場面に出くわすことが多くなっていったのだった。
見えない壁にいきなりぶつかるようなものだった。

ぼんご・・・がんばれ!

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