ぼんごさんの入院生活:ぼんごさんとお母さん

腎炎

入院している間、ぼんごさんのお母さんは毎日病院にやってきた。
春夏秋冬、暑い日も雨の日も雪の日も毎日。

日用品を持ってきてくれたり本を持ってきてくれたり、たまに禁制のお菓子をこっそり持ってきてくれたりした。ぼんごさんのお母さんは、優しいときはとても優しく、怖いときはめちゃくちゃ怖く、ぼんごさんを育てた。
ぼんごさんを病気だからと甘やかすことはなく、規則に忠実にぼんごさんと接した。たとえば、寝る時間は8時ぴったりで、それを超えることは許されなかった。でも寝る前には、小学校に上がる前くらいまでは、寝床で本を読んでくれたりしてあたたかく寝かしつけてくれた。

こわいお母さん

家にいられるときにぼんごさんが悪いことをすると、お母さんはぼんごさんを怒鳴りつけて感情的に叱った。手が出ることもあった。とくに、身体のために悪いことや、家で決めていた規則を破るようなことがあると、非情なほど怒った。

ある夏の日に、ひとつだけね、とお母さんはぼんごさんにアイスを与えた。
そのへんのスーパーでまとめ売りされている何の変哲もない普通のコーンのアイスだったが、大変に貴重なアイスの時間は幸せそのもので、6歳のぼんごさんはうっとりと甘美なひとときを頬張った。お母さんも嬉しそうだった。

そのあとでお母さんは買い物に出かけた。
一人でお留守番のぼんごさん、冷凍庫が気になってしょうがない。

おいしかったな~と舌の記憶を思い出し、台所にもぞもぞと出向いて冷凍庫の扉をそっと開けてアイスを確認し、冷気を顔に感じると我に返って扉をパタッと閉めた。そんなことを繰り返して時は過ぎ・・・何度目かのときにとうとうぼんごさんは言いつけを破った。2個目のアイスをむさぼり始めたのだ。

甘美なひととき第二ラウンドをいままさに過ごしています私!しあわせ!のその瞬間、お母さんが買い物から帰ってきたのだった。お母さんは、禁断のふたつめを手にしたぼんごさんを見るや怒りを爆発させた。
「なんで食ってんのぉー!だめって言ったでしょがー!」と怒鳴りつけてぼんごさんを叩いた。

ぼんごさんはお母さんが怖くてびーびー泣きだしてしまった。さっきまで幸せの塊であったアイスがいつのまにか掌の中で叱られる原因物質になってしまって、ぼんごさんは食欲などどこかへ吹き飛んでしまい、もういらない、と泣きながらアイスをお母さんに差し出した。

しかしお母さんの怒りっぷりはすさまじく、ぼんごさんの理解を超えた怒鳴り方で、2個目のアイスがこれほどまでにお母さんを怒らせるのかとぼんごさんは驚いていた。同時に、お母さんをここまで怒らせてしまうのは自分の身体が、腎臓が2個目のアイスから悪い影響を受けるからだということもうっすらと意識していた。2個目は食べるべきじゃなかった。それは漠然とした「お約束」のような縛りではなく、これを続けると生きるか死ぬかにつながってゆく可能性のある切迫したルールなのだと、ぼんごさん6歳は学んだ。このルールに触れたから、お母さんは豹変してしまったんだ。

でももう食べはじめてしまったもの、戻すこともできないから、全部食べちゃいなさいとアイスはぼんごさんに託された。しかしお母さんの変わりように震え上がったぼんごさん、言いようもなく悲しくて、2個目のアイスはまったく美味しくないものに変わってしまっていた。ぴーぴー泣きながらぼんごさんはアイスをやっつけた。

きびしいお母さん

またある時、学校の放課後に友達と遊んでいたときのこと。
放課後の遊びは3時までというのが決まり事だったが、その日はとても楽しくて、ついついその時間を過ぎて遊んでしまった。血中の老廃物を漉しとる働きをする腎臓の機能が低下する腎炎においては、血中に老廃物を生み出す行動は病状を悪化させるおそれがある。極力疲れる行動を避けて過ごす、というのが腎炎と付き合うときにとても大切なことなのだ。

門限を破ったぼんごさん、このときは鬼の形相でお母さんにぶん殴られたらしい。
とくに遠くに行ったわけでなく、同じ団地のこどもたちと少し長く遊んだだけだったけど、これも生きるか死ぬかのルールにふれる部分だった。

ぼんごさんの身体に悪いことが行われたとき、お母さんはいつも豹変するのだった。子を想う気持ちがあれば自然と厳しくもなる。ぼんごさんの身体にとって良いこと、悪いことを区別するため、お母さんはわりとヒステリックに怒った。禁止と怒りでルールを示してぼんごさんを縛った。走っちゃいけない、疲れるようなことをしてはいけない、あれは食べちゃだめ、これは食べちゃだめ、とぼんごさんの周りにはルールがたくさんできていったのだった。

つらいお母さん

しかし、お母さんは怖いだけの人ではなかった。
ぼんごさんが言いつけを守って良い子であるうちはとても優しいお母さんであったし、いざ症状が出てしまったときは、たいへんに心配してぼんごさんのことを、大丈夫か、ほしいものはないかと一番に思いやった。
食事はいつも腎臓に悪い塩分を控えて作ってくれたし、病院に見舞いに来やすいように家を病院の近くに引っ越してくれたこともあった。

腎臓に良いとされることがあれば、高価な漢方を手に入れてぼんごさんにのませたり、民間療法のようなことをぼんごさんにさせたりした。利尿作用のあるスイカや瓜を食べさせたり、へちまの水を飲ませたり、ぼんごさんにあれをしろこれをしろと知恵を尽くした。しだいに、あれをしなさいこれをしなさい、という物事が増えてゆき、ぼんごさんの行動を広く管理するようになっていった。

ぼんごさんのことをいつも一番に考えていたお母さんは、当時の腎炎の治療中、もし、お母さんが大病を患ったらば、ぼんごさんを殺して自分も死のうと思っていたらしい。自分がいないとぼんごさんは生きてゆけないと思っていたらしい。このことをぼんごさんは大人になってから聞かされた。ぼんごさんは怖いと思った。お母さんの中では、ぼんごさんは別の人間ではなくて同じ人間の一部のように思われていたのだと感じたからだ。

行動力にあふれるお母さんであったが、ルールを作って縛ったり、ぼんごさんの行動を管理するようになったりと、過干渉ぎみにぼんごさんを育てるようになっていった。このことは後々ぼんごさんを苦しめる一因にもなってゆく。中学生になって腎炎が少し落ち着いてきてからは、ぼんごさんをなお縛り付けておきたいお母さんと、自我を持って自律を求めるぼんごさんとの間で衝突が起こることもしばしばあった。

いま、過去の自分を冷静に見つめなおしているぼんごさん。お母さんに対してすこし複雑な気持ちもあるけれど、このお母さんの行動力とエネルギー、そして何よりぼんごさんを想う気持ちがなければ、現在まで生き抜いてこられなかったかもしれないと、感謝の意を隠さない。お母さんのことは好き?と聞いたら、好きだよと語っている。

入院しているときは寂しかったかい、と聞くと、お母さんと離れて寂しかったってことを覚えているのは1度だけだって。不思議な親子です。

病気の子供を持つ母親の苦労は並のことじゃないよなあと思います。
果てることのない心配がお母さんにとっても、本当につらかったのだろうなと想像します。

大変な瞬間が毎日のように続く闘病生活の中で、思案を重ねた結果に選び取ったものが、喧嘩だったり、悪口だったり、不毛な言い争いだったり、コミュニケーションの断絶だったり、厳しすぎる強制だったり、無理な我儘だったりするのは、お母さんにとっても、ぼんごさんにとっても、ストレスの原因になっていたと思う。

大変だからこそ、歩み寄ろうとぼくは思った。

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