ぼんごさんと中学校:そのくらい平気

ぼんごさんと中学校

人並みを頑張って過ごす生活をつづけたぼんご。
だがどんなに頑張ったところで腎臓は回復しない。頑張れば頑張るほどむしろ、体調は悪くなった。

腎炎は進行こそしなかったが、体調が悪い状態で普通を過ごすことが自分の日常なのだと思い知らされたのがこの時期だった。

そのくらい平気

「だから学校に行きなさい」とよく言われた。
中学のころは、体調不良を訴えてもお母さんはだいたいこう言うのだった。

小学校の頃は体調の不良を訴えるとお母さんはいつも心配が先に立って、無理をするなと学校を休ませてくれたのだが、寛解を迎えたあとにやってきた体調不良は昔のものとは別らしく、お母さんは学校を休ませてくれなくなった。

寛解を迎えたぼんごは人並みの生活を送らなければならないように基準が変わってしまったらしく、それは体調面の変化に対しても冷徹に切り替わってしまったらしい。

今日は体調が悪いから学校を休みたい、さぼりたい、といったことを告げて身体の不調を訴えても、ぼんごにとって腎炎の体調不良は倦怠感として現れることが多く、熱や頭痛や目に見える変調がないことから、お母さんにはぼんごが怠けていると映ったようだった。

無理して学校に行ったりすると家に帰ってからはごろごろして過ごすことになってしまい、不調にただ耐えて横になっていると、それはそれで元気がない、怠けている、体調を気にしすぎ、甘えている、と映るようで、しゃきっとしなさいとか、元気を出しなさいとか、ちゃんとやりなさい、頑張りなさい、みたいな曖昧なアドバイスを投げかけられることが多くなり、そんなこと言われても怠いものは怠いから、ふたりの会話は平行線で、お互いに自分の気持ちをただただ投げ合うような不毛なやりとりが増えた。

こういった話を続けているとそのうちお母さんはぷりぷり怒りはじめて、でも身体のことを言うのはあまりにも可哀そうと思うのか、あなたはだらしないとか、根性がないとか、甘えているとか怠けているとか頑張っていないとかの抽象的な言葉でぼんごの性格を責めるようなことを言うのだった。

そういったお母さんの気持ちを「そのくらい平気だから学校に行きなさい」という言葉の中に込めてぼんやり投げかけられて、いつからお母さんは私の体調を心配しなくなったのだろうと、寂しく思うぼんごがいた。

言葉にならない

頑張ろうが頑張るまいが腎臓はもう悪い。体調が良いというのがわからない。
普通を過ごすお母さんは、先生は、学校の友達は、自分の体調をどう捉えているのかわからない。

自分がそういう感覚がないから彼らの体調の状態がわからないのと同じで、彼らの感覚では自分の不調はわからないのだということを、いつしかぼんごは学んでいた。

自分にとっては普通が良くわからないのと同じなのだ。
普通の人には自分がどれだけつらいかわからないのだ。

自分の不調は目に見えない。わかりやすく症状が出ることもない。
わかりにくくひとりでに絡まって抱え込んでしまうタイプの変調なのだ。

これだけ一緒に時間を過ごしてきたはずの母がそうなのだから、学校の先生や友達になんてわかってもらえるはずもないだろう。

この頃に体調が悪くなったときは、母は決まって機嫌を悪くした。
ぼんごの不調は過去のことで、寛解を迎えたら腎炎とはおさらば、そんなお母さんにもどうしようもないことを持ち出してきてお母さんを不安がらせて困らせないでちょうだい、と不満をぶつけられているような気になってきたりした。この感じは今もそうだ。

体調不良を母に伝えても嫌な顔をされて怒られて最終的には自分が攻撃されるだけなので、ぼんごは自分の不調をほとんど口に出さなくなった。

お母さんに体調のことを言ったところで、自分の生き方を一緒に考えてくれるわけじゃないのだ、ということを、なんとなくぼんごは理解した。

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