ぼんごさんと小学校:あみ事件

腎炎

小学校に通いながらも年に数回は入院生活もしていたぼんごさん。
学校の授業が断続的になることは避けられなかった。入院から帰って来た時などは最近の授業の経緯が良くわからず、授業に慣れるのに時間がかかることもあった。

あみ

いつものように入院から学校に復帰したぼんごさん、ホームルームで先生から、つぎの理科の授業で「あみ」を忘れないようにとお達しがあった。

ぼんごさんは家に帰るとお母さんにそのことを話した。
「理科の授業であみがいるんだって!あみ、あるかなー?」
「あらそう、あみならあるわよ」
よかったあった。

お母さんは台所でごそごそやって、戸棚をきいと開いて何かを取り出してぼんごさんに持たせた。
ほんとだ、あみだ!こうしてぼんごさんは「茶こし」を手に入れた。

次の理科の授業では、みんなそれぞれあみをもってきたらしい。その日は課外授業で、河原に行って何かするらしかった。河原につくと、先生の号令でみんなあみを取り出した。そんでそのあみに石を拾って詰め込み始めた。みんなは、みかんのあみみたいな柔らかいやつに河原の石を入れていた。
およ、何か想像と違うぞ。

ぼんごさんは、茶こしを片手に、自分のあみはみんなのやつと違って石を入れる雰囲気じゃないことをひしひしと感じた。やば、わたしのなんか違う・・・。やだ・・・。

恥ずかしくなってぼんごさんは茶こしをごにょごにょやって手で隠したりし始めた。
(茶こしに石を詰め込むトライはしなかったのかってぼくは念のため、聞いた。しなかったらしい。)

手を変な風に曲げてもじもじしているぼんごさんを見つけて先生は声をかけた。
「ぼんごさん、どうしたのあみは」
ぼんごさんは茶こしをちらりと先生に見せた。
「あ」
先生はやさしく、一緒に拾おうかと言ってくれた。
先生は、持っていたあみをぼんごさんに渡してくれた。そしてぼんごさんも石を拾い始めた。

石を拾いながらも、ぼんごさんは茶こしを友達に見られるのが嫌で、茶こしを隠蔽することばかりが気になってしまい、変な動きになって石をかなり事務的にあみに放り込んだ。
茶こしがばれると笑われちゃう!これを隠すのが大事だ、石なんてなんでもいいや!

茶こしはあみじゃないのか

家に帰ってぼんごさんはお母さんに話した。
「あみ、これじゃなかった」
ぼんごさんは茶こしを差し出した。
「みかんのあみみたいなやつだった。みんなと違ってはずかしかったよ」
ちょっぴりむすっとしたはずだ。
「あら、それならそう言ってくれないとわかんないわよ」
とお母さんは曇り始める。
「だって先生があみって言ったんだもん」
「あみじゃわかんないでしょって!」
そう。わかんないよね。あみにもいろいろあるし。茶こしだってあみだ!

誰も悪い人はいないのだけど、もしかしたら学校ではあみと言えばミカンのあみであることが常識なのかもしれないとぼんごさんはちょっと悲しくなったのであった。

コメント

タイトルとURLをコピーしました