ぼんごさんと中学校:ピアス

ぼんごさんと中学校

15歳になったころには、体調が良ければ少し遠い町へ遊びに出かけることも増えていた。
遠いといってもせいぜい電車で1時間くらい。

大きな町は楽しかった。
街へ出ると、いろんな服に見とれては、自分もあんなのを着てみたいと願った。

お金がないので古着屋をのぞいたり、フリーマーケットに行っては格好いいお姉さんに目を輝かせたりした。
ブランド物や高いもの、高価なアクセサリーなどには興味がなかったが、着飾っておしゃれして、格好良くなることは、自分が大人になって自分の理想に近づけたような気になるので、とても楽しいことだった。

ぼんごの服装の趣味は当時の流行のミュージシャンの雰囲気だったようで、ネルシャツを買ってみたり、はき古して色の落ちたジーパンを買ってみたり、ジャックパーセルを買ってみたり、そういう感じの、あんまり綺麗じゃないおしゃれを楽しんだ。

お母さんに預かってもらっていたお年玉とかお小遣いとかをすこしずつ下ろして、たまに街に出かけて行っては自由な時間を満喫した。

8000円

ぼんごはいつしか、音楽雑誌とかで見かけるミュージシャンたちが耳にピアスを付けているのに憧れるようになっていた。

友達ともそんな話をしたりして、もう受験のための面接もないし先生に叱られるようなこともないし、開けてしまおうということで盛り上がって、3月の半ばごろ、大きな町へ出かけて行って人ごみをかき分けて、友達が調べてくれた病院でピアス穴をあけてもらったのだった。

耳に何か大切なおまじないでもかけられたようで、ぼんごは自分が強くなれたような気がして嬉しかった。
アクセサリーを付けるのも、大人になったようで楽しかった。

ピアス穴を開けるということに否定的な考えがあるのもなんとなく気づいてはいたが、バイクを盗む15才の例えもあるわけだし、そんな悪行に比べたらピアスの穴なんて全然大したことなく、べつに積極的に不良に成長したいわけでもなく、ピアスの穴を開けたところで自分の中の良心的な部分が流れ出ていってしまうわけもなし、そんな善悪の分水嶺を乗り越えるような行為を喜んだわけではなくて、自分で考えた理想に自分自身で一歩近づく、という行動の自分の中での正しさを全うできたことがとても嬉しく、そういった自己肯定や自己実現は、制限の多かったぼんごの人生にとっては数少ないものであったので、ちょっと町へ出て8000円でそれが買えるということは、周囲の否定的な意見を容れたとしても十分におつりがくるような大切なことでもあったわけだ。

しかし、ご想像の通り家に帰るとお父さんと、とくにお母さんには怒鳴られた。
両親にまったく相談もしなかったのだ。

相談しても反対されるに決まっているから相談しなかったわけなんだけど。

それくらい自発的に行動できるように成長できているたのは、たぶん良いことなんだと思う。

怒られた記憶、よりも、ピアス穴をあけられた喜びのほうが強い記憶となっていて、早く色々なピアスをつけてみたいなあと、ぼんごにしては珍しく未来の自分に期待を持てる出来事でもあったみたい。

その後も何個か穴をあけて、そのたびに少しずつ大人になって、強くなったように感じたらしい。

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