ぼんごさんと高校:リアル進路相談

ぼんごさんと高校

19XX年の大学受験シーズンも、残すところわずかといった頃。
ぼんごの通っていた進学校では、大抵の友達が試験に合格していた。

ぼんご自身の受験は、あんな生活を送っていたならばかなり望み薄であることを自分でも認識していたとはいえ、落ちたら落ちたでショックで、周囲の友達のきらきらした高校生活の華々しい終わり方に、自分がそうなれていないことへの劣等感とか、悔しさとか、普通から遠ざかる寂しさなんかが入り混じった気持ちを抱えた。

ぼんごは、3月から準備しても入れる専門学校へ進もうかと思いついた。
それで、その思い付きをお父さんに相談した。

お父さんは、そんなぼんごの思い付きが文字通りただの思い付きであったことを見抜いた。
だから、何の目標もないままただやみくもに進むのはやめろと、ぼんごを諭した。

この先、1年か2年、なにもしない時間があっても良いじゃないか、とお父さんは伝えたらしい。
人生は長い。そのなかのたった1、2年、自分の人生を考えるためだけの、何もしない時間があっても良いんじゃないか。

お父さんに相談して、ぼんごは自分に客観的になった。
友達の高校生活の有終の美にあてられて、自分も4月から何者かにならなければと、相当に焦っていた自分を見たようだった。

お金だけ出せば入れるような所に行って表面的な何かを手に入れるだけよりも、泥船とわかっていても自分で納得して過ごしてゆく人生を見つけることが自分には必要だと冷静になった。環境が自分に合わなければ逃げたっていいわけだ。

まず落ち着こう。落ち着いて考えよう。

同じ学校にいた人たちとは人生のレールがもう二度と交わらない形で伸び始める頃だとしても、自分には自分のレールがあって、そのたったひとつのレールに沿って自分をドライブしてゆくのが本当に必要なことのはずだと、ぼんごは自分に言い聞かせた。

お父さんはぼんごを矯正しなかった。いつも、静かな態度と言葉でぼんごに接した。
ぼんごも、お父さんの言葉には素直に従った。

部外者の僕が勝手に思うだけだけども、お父さんはぼんごを、自分の子を心底信じていたし、ぼんごもそうだったと思う。二人は外見も内面も似ていて、二人とも不思議と、わりかしハードな状況でもどっしり構えて冷静に着実に物事を解決してゆく似た者親子だったから。

そんな形で、お父さんのアドバイスもあり、ぼんごは、浪人生活を送ることになる。

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