やっぱうちのカレーがいちばん美味しい。
と、どの家もそんな時間を過ごすカレーの晩。
ぼんご家も例に漏れず、家族でカレーをむしゃむしゃやっていたのだった。
FAT
ぼんごも、お母さんのカレーは大好物だった。
カレーは大好きだったのだが、肉の脂がとても苦手で、皿の脇にスプーンで逃がすのが常だった。
カレーを口に運ぶ前に脂身の仕分け作業を一通りやってしまってから、ようやくもっしゃもっしゃと食べ始めるのだった。
なんでもないカレーの晩がそこにはあった。
のだが、ぼんごの皿の脇に出来上がった、こんもり脂身山を見咎めるお母さん。いつもカレーの晩には現れる山だったのだが、この日はそれを許してくれず、脂身も食べなさい、とぼんごを叱った。
食べたくない、とぼんご。
しかしぼんごの意見は容れないお母さん。
何言ってるの、食べなさい、私の料理が食べられないの。
小言が降ってきた。
せっかくお母さんが作ったのに、あんたはわがままよ、あんたは自分勝手、あんたはお母さんの気持ちがわからないの、あんたは自分ばかり我慢してると思ってるのよ、あんたは・・・脂身食べないなら、あんたはもうご飯食べなくていい!
そんなことを矢継ぎ早に言われて、カレーの味がどっかに行ってしまって、なんというか、ぼんごの中で何かが切れてしまったようだった。
もういいや、いらん。
お母さんはうるさい。いつも私に厳しすぎる。ちょっと残しただけじゃない。
もうやだ、きつい。ここにいたくない。カレーなんかどうでもいいや。お母さんは私の一挙手一投足に口を出さないと気が済まないんだ、四六時中監視されているような気分。私を無理やり従わせたいだけのようにしか思えない。
日頃からの小言が積もり重なって、とうとうぼんごはぷつんといったのだった。
それで、反射的に席を立って部屋を出て、そのまま玄関のドアを開けて家を出た。
そのドアはお母さんという「壁」に初めてぼんごが開けた穴だったのだろう。
ハートに火が付いた
計画的な家出は家出とは言えないと思う。
家出はいつだって衝動的なものだから・・・。
ぼんごの衝動も、自由を求めてそのドアを開いたのだった。
のだったが、いつだって自分の限界を冷静に捉える考え方が癖づいているぼんご、行くあてがないことや、体力的にそんな遠くまで行けるわけもないことを知っていた。
だから、この瞬間はただお母さんから逃げたかっただけで、どこかに行きたかったわけでもないので、家出は衝動的なもんだし、ドアの外にあったゴミ箱の横の隙間に挟まってじっとして、暗闇に紛れ込んだ。
ほんのわずかだったが、それはお母さんの管理に反抗する大切な時間だった。
ゴミ箱の隙間でひざを抱えて過ごす自由の中で、ぼんごは息をついた。
若干の生ごみ臭を我慢しつつスパイシーな息を殺して数分すると、ドアが開いてお母さんが飛び出してきて、ぼんごに気づかずそのまま路地の奥へ走って行った。
ふふ、自分がまさかこんなところに潜んでいるなんて気が付きもしなかっただろう。
遠くの暗闇へ駆けて行ったお母さんを見て、いい気味だよ、とすこし気が晴れた。
ぼんごは、暗闇の奥のほうへ一心不乱に遠ざかってゆくお母さんの背中を見つめていた。
ふと、お母さんはどこまで探しに行くつもりなんだろ、やべ、すごい遠くまで行ってしまったらどうしよう、と逆に心配になってきて、ゴミ箱の横から立ち上がって、お母さんを追いかけた。呼び止めようとしたのだ。
ところが○○町のチータこと健脚で有名なお母さんに対してぼんごの運動神経はまったく追い付かなかった。
しばらく(30秒くらい)追いかけたがお母さんが速くて遠ざかる一方だったので、そのうちぼんごは追いかけるのをやめて家に戻った。
家に入って食卓に戻り、家出の原因となったカレーを普通に食べた。
美味しかった。脂身は残した。脂身は、いつか病院食で食べて、戻してしまってからずっと苦手なのだ。
30分ほどして、玄関のドアが開く音がして、お母さんが帰ってきたことが分かった。
なんだかすこし安心したのを、覚えている。
対立もするし、大切でもあるお母さん。
距離が近ければ近いほど、ちょっとしたことで反発したり同情したり、そういったことの影響がお互いのバランスに大きく影響してしまうことも、きっとある。
親子とはいえ別の人間である以上、その人を思い通りに支配することなんてできない。
でも、同じカレーをよそい合う、他にふたつとない家族なのだ。
適度な距離というものがわかればそれは、苦労がない。
そんなものわかる人はいないから、対立しつつ、わかり合いつつ、バランスを探るほかないのだ。
この家出は、なんてことない反抗期のひとこまの笑い話のようにも見えるけど、ぼんごにとっては大切な距離の開け方だったのだろうと僕は想像した。
この事件以来ぼんご家のカレーはひき肉になったという。
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