ドライブ後、逃げる手もあることを知ったぼんご。相変わらず学校はなぞの発作の原因の中心にあった。
それでも、本当に耐えられなくなったら逃げればいいからそれまでは頑張ってみようと自分の人生にすこしだけ建設的になってきた矢先の入院だった。
ぼんごは4つの学校を志望していた。
準備はまったくできていなかった。
それでも普通にその日はやってくる。
センター試験
まずセンター試験の日が来た。3科目を予定していた。
初めに英語の試験を受けた。手ごたえは、無かった。
勘が当たって偶然正解している可能性もあるわけだが、試験後に近くの受験生たちの会話をちらちら聞きかじった感じでは、あのテキストが言いたかった事はぼんごの想像と違う方向で展開されていたらしく、正解への希望的観測は現実にシャットアウトされて、ぼんごはひとりでに、センター試験の終わりを悟ったらしい。こんな調子では試験を受けるだけ無駄だったのだと。
それで、英語の試験が終わると、残る科目の試験は受けず、家に帰った。
家では両親が炬燵に入って、今まさに問題用紙に向かっているであろう娘の試験の成功を祈っていたらしい。
そんなお茶の間に、早すぎる娘の帰宅。
両親もセンター試験の終わりを悟ったのだろうなと思う。
1校目
次に第一志望の試験日が来た。学科違いで2日間の日程。ものすごく緊張していて、詳しくは覚えていないそうだ。
なぞの発作が起こると試験どころではないので(この頃まだパニック障害の診断つかずの状況)、それが起こることを一番に恐れた。試験中はかつてないほど集中していたためか、またいつもと環境が違うせいなのか発作は起こらず時間を過ごすことができた。
2日とも午前1科目、午後2科目の予定での受験。昼食はとらずにひたすら集中した2日間を過ごしたらしい。手ごたえは、曖昧。自信はなかったようだ。
2日目が終わって家に帰って、夕食をとったりお風呂に入ったりして、そのあとはすぐに眠った。9時くらいだった。
翌日、目を覚ましたら珍しくすっきりしていた。途中で目覚めることもなく、よく眠れた感じがする。
時計を見ると6時だった。
居間に行くと母がいて「あら起きたのね」。
「おはよう」とぼんごは言った。
「何言ってんのもう夜よ」と返ってきた。
21時間ずっと寝ていたらしい。
人生で一番ぐっすり眠れた日だったそうな。
2校目、3校目、4校目
2校目の試験の日。
解答はじめのチャイムが鳴るとき、ぼんごの目に映っていたのは問題用紙ではなくて、海だった。
いってきま~す、といつも通り声を発して駅に向かったが、受験に対する疲労感がひどく、1校目が不合格に終わったこともわかって次の試験に自信がまったく無くて、受かるイメージが微塵も持てず、受験する気を失くしてしまっていた。
それで、受験場所とは別方向に向かう電車に乗って、とくに理由もなく海まで来た。
冬の海の人気のない浜辺、どろんとした灰色の波しかない海をぼんやり見て、ぼんごは自分の将来をぼんやり考えた。今後の人生どうしようかな、と漠然とした将来そのものを見た。
イヤホンが耳にあって、ずっとこの曲を聞いていた。
歌詞の一節がやけに耳に残った。

仲間は子供をつくり 家族を守るために戦う
自分は自由を気取り 縛られることを恐れて
向き合うことから逃げる やさしささえ気が付かずに
FLYING KIDS『ディスカバリー』より
作曲:FLYING KIDS
詞:浜崎貴司
何度も何度も、自分自身のことを言われているように思った。
将来のことを考えるのは自分自身なのであって、親でも、学校の先生でも、海でも、FLYING KIDSでも、友達でも受験生でもなくて、私ぼんごが主体でよいはずなのに、自分はそれを避けてきたように思えた。自分と向き合わずに、どうしたいかわからない自分を、なにができるかわからない自分を、出来損ないのように感じた。
自分には、生きることに熱量がないことを自覚した。
これまでは学校に通い、大学受験をするまでがひとつながりのレールのようになっており、そのレールを乗りこなすのが自分の存在意義のように思えたが、そういったレールから落ちてみて、自分の今後にレールが無い、ということを思うと怖くなった。ぐねぐねでもレールがある状態は、しがみつくものがあるだけよかった。
これからどうやって生きていこうか。
普通をドライブして行ける友達や周囲の受験生にくらべて自分はなんと存在価値がなくて、そんな自分は存在を消してしまいたいと願うようにもなった。希死念慮とか自殺願望とかではなくて、無かったことにしたい。自分という存在が無かった世の中に戻ってほしいと、そんな方法がどこかにあってほしいというお花畑を頭の中で育てることに密かな楽しみを想うようにすらなってしまっていた。
目の前の海はべつに、とくに消え方も向き合い方も教えてくれなかった。
海は海でそこにあるだけで、ただ、ぼんごがそこに座っていることを否定することもなかった。
しばらく浜辺で過ごし、お腹が空いたので近くの喫茶店に入った。
近所を歩いてみたりして、適当に目に入った教会で懺悔でもしてみようかと妄想した。
ずっと海にいても仕方がないので、3教科の試験が終わる時間を見計らって、電車に乗った。
適当に雑誌を買って、わざわざ電車を遠回りして最寄り駅に着いて、何食わぬ顔で家に帰った。
3校目、4校目にかんしては、試験を前にぼんごの受験は心の中で終わってしまっており、親に事情を説明して、試験には行かないと宣言して、その日は家で過ごした。父も母もとやかく言わなかった。
ぼんごの受験はそんな感じで、ずたぼろの結果で終わる。
試験を受けない、ということを能動的に実現したぼんごの行動は、僕は大好きな話だけども。
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