お久しぶりです。ぼんごです。
blog書かなくてはと思い、過去の自分の文章読んでいたら暗い気持ちになってしまった。
今回もいつもとおり暗いかもです。
大人になるたのしみ
小さい時、病気はあったけど、小さな水槽の中の熱帯魚のようなものだったから、いつか海に出られるのでは、と想像するのが好きだった。
病院のベッドの上でも、つまらない授業中でも、サボって1人で海を眺めていた時でも。
今は人生史上最低で、行くところがないけれど、大人になったらきっと知らないすごいことができる場所にいける、って思っていた。
だから将来の具体的な自分を考えることはできなかったのに、大人に早くなりたかった。
すごいことができる大人ってのに、なれるんじゃないかって楽しみにしていた。
周りとのギャップ
つい先日、医療関係者の方数名と食事をする機会があった。内向型人間の私は皆さんの話を静かに聞いていた。話は楽しく、誰もが夢や理想を抱きそこに辿り着くまでの課題を披露していた。また自分の仕事に責任を持ち、それを世の中に活かそうと努力することを惜しんではいなかった。
その場は和やかに終わり、私はふわふわした気持ちで家に帰った。
「今日は有意義だったな」「みなさん前向きですごいな」と話したことを反芻していたのだ。そしてふと自分に置き換えて考えると私には同じところがちっともないことに気付いたのである。
つまらない大人になってしまった
子ども時代になりたかった大人。それはぼんやりだけど、キラキラしていて何か人のためにもなって、自分のやりがいを持って、今日も充実した1日だったと眠る人だった。
今の私はどうだろう。
月曜日がきたら火曜日がきて水曜日に木曜日と繰り返し、1ヶ月経つと25日に給料が少し入る、そんな大人だ。金太郎飴のような毎日が送れたら御の字。急に体調がガクっと悪くなったり(今週は免疫力低下で初めて外耳炎になってしまったし…)動けなくなったりすることもある。
社会のみそっかすになっていた。改めてつまらない大人になってしまった、と思わずにはいられなかった。
たくさんの情報に惑わされる
ニュースは新聞ではなくネットで。音楽は試聴機ではなく音楽アプリで。本も読みたいと思えば、kindleですぐに手に入れられる。SNSではアルゴリズムのおかげかなんなのか1つの投稿にいいねを押すと、同じ意見が集約して自分に襲い掛かってくる。情報過多すぎる。そのことに疲弊しながら日々が終わる。感受性はどこかに消えてしまった。
なりたかった大人。自分の大好きな本や音楽や映画のここが好きだ、とそのことを堂々と言える人間。
昔は言えたのに言えなくなっていた。熱帯魚から深海魚になったんだきっと。
本当につまらない人間になってしまった。
それでも
生きるのは大変だ。キラキラしてばかりいられない。多くの情報により自己肯定感がここまで下がるのかというところまできても、明日がやってくる。朝目覚めたら、体が泥のように重くて何もできそうになくても、真夜中に覚醒して結局眠りにつくことができなくても、また今日になっている。1日が始まる。
つまらない大人は、つまらないことを考えながら、たまに美味しいものに出会ってたまに嬉しくなる。
それでいいじゃないか。そう思えるだけで十分だろう、と深海の中から呟く。

コメント