中学ごろのこと(文:ぼんご)

ぼんごさんと中学校

ぼんごぶろぐの更新が少々遅くなっておりすみません。
この後の中学時代から高校時代の腎炎寛解期は、出来ない事の辛さをダイレクトに感じた時期であり、それに伴ってパニック障害を発症させてしまったので精神的な辛さを一番感じた時期になります。
それゆえ私の記憶が断片的であること、それを構築すると当時の辛さがよみがえり精神が不安定になることもあるので少しずつ取材をしてもらって自分の記憶を呼び起こしています。
また執筆してくれている主人の本業が忙しいこともあり、気長に待っていただけたら幸いです。

というわけで、また私の拙い文章にて中継ぎ。

世界線

ここに1足のバレエシューズがあります。

これは私、ぼんごが2歳半くらいから3歳でIgA血管炎を発症するまで習っていたバレエで履いていたものです。
半年ちょっとで終わってしまった習い事で記憶もほとんどありませんが、もしIgA血管炎にならなければそのまま続けていたかもしれません。もちろんプロになっただろうとかそういうことではなく、続けていたことにより姿勢が今より良かったり、体が柔らかかったりしたかもしれない、そんなことを考えずにはいられない日があるのです。

今が辛いと思う日、苦しい現実と向き合う日、私は長すぎる難病のせいで自分がダメになっている気がしています。それは大きな間違いであることは承知していますが、難病のために諦めたことが大きすぎて苦しくなるのです。そしてありもしない世界線を夢見るのです。

私は大きく諦めたことが2つあります。
それはそのうちぼんごぶろぐの本編で出てくると思うので今は詳しく書きませんが、そのどちらかに進んでいたらどうなっていたのかな?と考えます。
あまりに醜い今の自分を見下ろすとその世界線に乗って幸せになっている自分を心の中で描きます。
そしてその世界線に乗れなかったことを病気のせいにするのです。確約のない幸せを夢見て、今の自分を否定するのはとても生産性がなく馬鹿げているのは承知していますが、それでも今よりはマシだったのではないかと思い今の自分を想像の自分が頭の中で傷つけます。それを私は、辛い時に自分を保つためのカタチ無き自傷行為と呼んでいます。

カタチ無き自傷行為

大げさな言い方ですが、自分を自分で否定し続けます。
デブで馬鹿でブスなのは自分の全てが悪い。仕事で嫌みを言われても友達から辛辣な言葉を投げられても最終的には自分の何かが悪いからこうなったと考えるクセがついてしまいました。
自分で自分を否定し続けることで、「誰にも傷つけられない存在」となっているのです。
これがいわゆる壁でしょう。自分をグサグサと切りつけることで自分を傷つけることができる存在は自分だけという歪な考えの持ち主になっていました。

それでも愛していく

現実は残酷ですが、それでも今の自分にしかなかったこともあるのではないか、と最近成長しました。
不思議なことですが、40を過ぎてこの醜い自分を愛せるのは自分しかいないんだということに気づいたのです。今まで呪ってきた病気。いつまでも付きまとってくるので一歩も前に進めなかった大嫌いな自分。
それが主人とブログを始めようと話して決意した日から、ほんの少しだけ今の自分でいいのかもしれないと思えるようになってきました。
まだまだ病気を呪いたくなる日はたくさんあります。悔し涙は流しても枯れることはありません。
それでも今の私の感受性を育てたのは明らかに病気です。辛さや悲しさだけではなく優しさや思いやりを作り上げてくれました。
万が一私が今の世界線にいなかったら、日々の何気ない幸せに気づけず、人を蹴落としてでも自分が勝ち上がっていくという思いやりのない人間になっていたかもしれないと考えるとぞっとします。
だから私はこれでよかったと思う日がたまにできて、ほんのたまに自分を愛してあげようと思っています。

本当に拙い文章ですみません。
これをblogに載せることもどうなのかな?と考えますが備忘録的なものとしてあげておきます。
またちょいちょい今日はこれしたあれしたなどつまらない話を私の文章であげる日があるかと思いますが、そのときは読まなくてもOKなので書いているんだくらいに思ってください。

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