ぬの

最近のぼんごさん

ぼんごさんは布を愛している。
家にいてくつろいでいる時はたいてい布を手にしている。
安心毛布とか、ライナスの毛布とか呼ばれるやつだ。

物心ついたときからそばにある。布が先かぼんごが先かわからないくらい一心同体となっている。家ではもちろん、入院している間も布だけはいつも一緒だったらしい。
ベッドのうえですんすん嗅ぎながら、自分のにおいとか家のにおいを感じて安心していたのだと思う。

いつも持っているのでぼろぼろになる。
いまの布は同棲をはじめたころに使い始めたもので、十数年ものだ。

もともとはバスタオルで、どっかの〇トリで出会った。先代の布がぼろくなってもう消滅の危機にあったとき、何日かかけて探し求めたやつだ。
お店のタオルコーナーとかに行くとめっちゃたくさんの種類のタオルがあるが、選ばれし布は簡単には見つからないらしい。タオルの隙間に手を差し込んで実際に肌触りを確かめて、これだという感覚を得るまで、ぼんごさんは妥協しない。

いまの布の姿かたちは布というか、長い年月のためにぼろの切れ端の集合体のようになっていて、色も茶色く変色していて、もはやもともとのタオルの端っこの少し厚い部分だけが紐状に何本か残っているだけという寂しい状態だ。ぼんごさんはいつも布を指でいじいじしていたり、顔周辺にすりすりしていたり、においをかいでいたり、目のあたりにおいてパックのようにしていたりする。
それが、十数年前は本当に普通のバスタオルだったのだが、糸がほつれて少しずつほどけていって、破れたりちぎれたりしながら、いつしか細かい糸くずになって掃除機に吸い込まれ、自然へ還っていったようなのだ。形あるものはいつか必ず消滅する、なんて言葉を知ってはいたものの、実際に布が十数年の年月をかけて少しずつ文字通り消滅してゆくのを目の当たりにして、諸行無常はまじだと感じる。そんなこんなで、今の布も消滅の危機にある。
掃除をしていると予期せぬところから布の切れ端が見つかることがある。勝手に捨てるのはかわいそうなので、取っておいてプレゼントしてあげている。たまに、不可抗力で吸い込んでしまうやつがあるが、、、それは許してほしい。

布は家族には、とくにお母さんには不評で、汚いから洗いなさいといつも怒られている。しかしぼんごさんは洗わない。たまにお母さんが勝手に洗うことがあるらしいが、それは悲しい出来事らしい。今の布は、洗濯機に入ったことがない。
匂いがとても大切で、だいたいは布団のなかにあるから、自分の布団のにおいがするのが重要なことなのだ。すこし湿り気があって布団のにおいがする状態がいちばん美味しいと言ってすーはーすーはーしている。親切心から、ぼんごさんは僕にも布を勧めてくる。布団のにおいが凝縮している。 ぼ、僕はいいや。ありがとうぼんごさん。

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