最近のぼんごさん:ぼんご転院を考える

最近のぼんごさん

ぼんごさんのIgA腎症は2022年12月現在も寛解の状態である。

十年くらい前に蛋白尿が増え地域でそれなりの大学病院の腎臓内科に通ってステロイドパルスの治療をしたが、その後は大きな変化はなくて、数年その大学病院に通ったあと、通っていても積極的に行う治療はないということで、ここ数年は家の近所のなんでも診てくれる地域密着型のクリニックで経過を観察するという状態で過ごしている。

異変

それはぼんごさんがTwitterにポエムを咲かせたあの日のこと。

歳のせいもあると思うが最近どうも、疲れやすい。常に身体のどこかにだるさを感じている。血液検査の結果、クレアチニン値が微妙に悪くもなってきている(CKDのステージでいうとG3b。)

いつ悪化するかわからない不安を腰のあたりに内在していて、ぼんごは将来のことをぼんやり考えると、いまのクリニックよりも、また大学病院のような大きな病院に戻って微細な変化にもちゃんと対応して考えてもらったほうがいいのでは、と想いを巡らせたりしていた。

で、そういう気持ちがあると、クリニックの先生にぽろっとこぼした。

そしたら、ぼんごの現状では治療をする必要がない、やることがない、転院する必要もない、ということを言われた。数値が悪いのは太っているせいで、痩せなさいと言われた。

透析になるくらい悪くなったらその時治療や転院を考えればいい、今のあなたの状態では施すことがない、あなたは考えすぎだ、と言われたそうな。

で、以上終了、処置無し、ということで診察が終わった。

することがない

もっと悪くなってから対処すれば良いという先生の意見はごもっともなのだろう。

自分の現状は良くも悪くも寛解で、回復もしなければ悪くもならない微妙な状態を保っており、それが保たれている以上は手を出すこともできないどっちつかずの状態。

ぼんごとしては最近の不調のために何かを考えて手を打ちたいと、めずらしく積極的に自分の腎臓に向き合って先生に話をしてみたのだが、先生の関心は自分の腎臓の数値のことだけで、ぼんごの人生についてではないのだということに、はたと気づいてしまったらしい。

やりたいことをやって過ごしてもっと悪くなってから考えればいいというのは、これまで自分に課せられてきた壁と真逆の考え方であって、自分が長く生きてみたいと思う願いを汲んでもらえてはいないのだなと寂しくなってしまい、自分が長く生きることをこの先生は特に望んではいないのかな、といったことまで考えてしまった。

やりたいことをやりたいようにやって生きる。
それができたらどんなに素敵なことか。それができないからどう生きるかを考えておきたい、この現実に直面しているともいえるのに。

病院や医師は自分の人生の展望を一緒に見据えてくれる存在という訳じゃないのだと頭では理解していても、きっぱりとやることがない、治療もしないと言われるとそれはそれで悲しい。

血圧は測ってくれても、自分の気持ちまでは測ってもらえないもどかしさ。

かといって医者の立場も分かるし、自分よりも重症の方に手を尽くす時間を割いてもらったほうが良いと思うから、若いときのような我儘な言動をとるのは自分勝手すぎると、冷静にぼんごは思った。

それで、会計を済ませて、家出でもするかのような気分でクリニックを後にした。

確かめに行こう

そして、こんなとき散々聞いてきた曲を聞くのだ。

探しに行く<br>ぼんご
探しに行く
ぼんご

今の僕を待ち受けるものに
何をあてはめていたのかさえ
自分でわからなかったくせに
勝手に失望していた

(中略)

どんな期待をしていたのだろう

種も仕掛けもないマジックに

騙されたいと願ってみても

目と耳は飾りじゃないから それも出来ない

(中略)

自分勝手で大人気なくて

気分次第で迷ってばかり

タチが悪いのはそんな時も

間違ったことを認めない

仲間といたって寂しくなる

何もない夜は消えたくなる 僕の形がわかりますか?

(中略)

胸に刺さってる棘を抜いて

臆病者のマスクはがして

絡みつくロープが解けたら

君に伝えたい事がある

旨く笑えなくたっていいよ

泣きたい時は泣いてもいいよ

こっそり弱音吐いてもいいよ

偽りのない世界まで 確かめに行こう

the pillows作『確かめに行こう』より

作曲:Sawao Yamanaka

詞:Sawao Yamanaka

自分で行くしかない、自分が生きるしかない。
自分の人生がどうなるのか、自分で確かめに行くしかない。

他人にはこれは任せられないのだ。

こんなことはわかっているのだ。
先生、せめて、納得させてほしかった。
否定じゃなく共感が欲しかった。

つよいこ

そんで家に帰ってから、ぼんごはカートコバーンのように布団にダイブして、ぴーと泣いた。
僕は、自分のために買ってあった酒をあげた。

その日と翌日は泣いて過ごした。
2日経った朝。

今日は立ち直ったかしらと心配する僕の気持ちをよそに異様にテンション高く盛り上がっているぼんごが、そこにはいた。

どうした、大丈夫かと尋ねたら、そんなんで悩んでいてもしょうがないんだ私の人生はと開き直って元気を取り戻していたようだった。(実際は空元気でもある:ぼんご追記)転院を決意したらしい。

この人、困難も多いが、そのぶんそこから立ち直ってきた実績も多いのだ。

そういう強さは、たぶん普通の人よりも強い。
僕がぼんごを好きな理由の一つだ。

元気が出てきて調子に乗って布団をはがされてお前もしっかりしろとウザ絡みをしてくるのでいい加減にしてほしいと内心思いつつも、今週中くらいは黙って受け入れてあげようと、ぼんごの復調を喜ぶ僕なのであった。

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