体調が悪くないとき、ぼんごがお母さんに従順であるとき、ぼんごがお母さんの基準を満たすような頑張りを見せたときなどには、お母さんは世界中の誰よりも優しいお母さんだった。
病院に行く日
寛解を迎えてからも数か月に一度くらいのペースで腎臓内科には通った。
頻繁に通うことがなくなっていたから病院がすこし遠い場所になってしまっていて、お母さんとぼんごは互いに軽い不安を抱きながら、ちょっと懐かしさもある町に向かって、電車に乗るのだった。
受付をして、採血したり尿を提出したりして、診察までは静かに過ごした。
「今日はどうだろうね」
「大丈夫じゃない?」
「ね、大丈夫だといいね」
病院のベンチで周りに取り残されたようにひっそりと佇みながら、やんわりとお互いの気持ちを確かめ合って、今日という日がなんでもない普通の一日であってほしいと二人は願った。
こういうとき、お母さんの口調はとても優しかった。
診察までは待ち時間が長いので、だいたいの場合は外に出て時間を潰して過ごした。
数か月に一度のこの診察の日ばかりは、お母さんはぼんごを甘えさせてくれた。
普段は食べさせない味の濃い塩分の強い中華料理とか、ハンバーガーとかのぼんごが食べたいものを食べさせてくれた。ハンバーガーは注文を言ってソースを少なめにして塩分を減らしてもらったりもした。妹やお父さんには内緒の食事で、ぼんごはそれを喜んで食べた。
また、病院の近所にCD屋さんがあって、ぼんごがねだるとお母さんは気前よくCDを買ってくれたりもした。大好きな音楽を買ってもらえてぼんごは小さな子供のように嬉しがった。入院生活の頃から何も変わらず、この音楽がどんな世界に連れて行ってくれるのかを思うと楽しくて仕方なかった。自分のお小遣いからCDを買うのはなかなかの出費だったから、ねだってCDを買ってもらえるのは本当に嬉しいことだった。
こんなふうに、病院に行く日のお母さんが優しかったことを、ぼんごはよく覚えている。
普段の日
普段の日も、ぼんごの体調が普通で、また従順であればお母さんはとても優しかった。
ぼんごが頑張っていると思われているとき、お母さんはぼんごを大切にした。
塾に行って帰りが遅くなると、通りから一本入る道のところまで、夜中に迎えに来てくれたのをよく思い出す。お母さんの姿を見かけて、とたんに家が近くに来たような気になって安心した。
数年前までお父さんは単身赴任をしていたから家にいないことも多く、お母さんは義父母と同じ家でぼんごと妹を抱えながら、仕事もしながら一生懸命に生きていた。
義父母にちくちく言われることもあったろうし、愚痴りたくてもお父さんはいないときも多かったし、ぼんごは病気のことがあるし、妹はまだまだ手がかかるし、家事に仕事にと、お母さんはぼんご家の大切な部分をどっしりと背負って頑張っていたはずだと、今だから、そういったことが想像できるようになったとぼんご。
当時のぼんごにとってお母さんは絶対的な権力者で、逆らったりできない厳しい存在だった。また、ちょっとお節介なくらいに自分を心配してくれる圧の強さが、すこし窮屈に感じられたのもリアルな思い出だ。
そのかわり素直に従っているときは本当に優しく、その優しさのおかげで楽しいことも沢山あったし、暖かい家族には帰属意識がしっかりあったし、なにより自分を引っ張って生かしてくれたのはお母さんだし、いまは感謝の気持ちが強いよ、ということだそうな。
いつのまにか当たり前になってしまっていたから、そんな気持ちも忘れかけていたところ。
幼い頃入退院を繰り返していた時に献身的にぼんごを支えてくれたのは他ならぬお母さんなのだ。寛解のあとはぶつかることも増えたけど、それだって、お母さんが幼いぼんごを生かしてくれたからこそ辿り着いた現在だ。反抗心を抱くことができるくらいまでぼんごが成長できたのは、お母さんがいてくれたからだ。
いつもお母さんは優しくて厳しくて、自分のことを優先的に考えてくれた末の行動だったはずだ。
出来たこともあれば、あきらめたこともあったはず。そのすべての時間を一番近くで一緒に過ごしてくれていた。
お母さんのいない夜は、お母さんにとってもぼんごのいない夜だったのだ。
ぼんごが夢見た幼稚園は、お母さんが連れて行きたかった場所のはずだ。
普通の食事をさせてあげられなかったご飯時。
病院食は美味しくなかったろう。
たまには、塩気のあるものを食べさせてあげたかったろう。
少しくらい、お菓子を食べさせてやりたかったろう。
歯磨き粉なんて食べさせてしまったことは悲しかったろう。
それでも、塩分は腎臓の敵だと厳しく管理してくれた。
ただ甘えたいだけの時間を過ごさせてやれなかったあの日。
わがままを言いたいときに一緒にいてあげられなかった。
いつだってお家に帰ってきてほしかった。
家に連れて帰ったところで何もしてやれないから、面会のあとはきっと、ひとり寂しく電車で帰っていったのだろう。
お母さんにも、涙をのむような悲しい時間、大変な苦労が沢山あったけど、そんなことをぼんごが思い遣る余裕は当時は無かった。でも、いろいろと落ち着いた今なら、お母さんのことも考えられる。
「お母さん、あのときはありがとう」
面と向かって言えるときは来ないかもしれないので、ぼくが勝手にここに書いておく。
ふたつの背中
つい最近のこと。
お母さんが散歩の途中で足を怪我した。転んで足を打って、すこし血が出たらしい。
転んでちょっとすねのあたりを擦りむいたくらいの雰囲気だったけど、運動神経が良くいつも元気いっぱいのお母さん、怪我をしたことに驚いて年も年だわ、なんて珍しく弱音を吐いていたみたい。
ぼんごは心配して、怪我の様子を見たり、痛みはどうか聞いたり、包帯を用意したり看病した。怪我をしてもお母さんがしたがっていた家事をやってみたり、必要なものがあれば買ってくると言ってみたり。
お母さんのほうは心配されたらされたで、大したことない、そんな大げさなことじゃない、あんたは心配しすぎ、こんなの怪我のうちに入らないよ、お母さんのことはいいから、心配しないで。あんたたちみたいにやわな身体じゃないんだからお母さんは、こんなの心配することじゃないんだよ!なんて、弱った自分を隠して、むしろちょっと怒り出しちゃういつもの調子。
でも、普段自分よりも元気もりもりなお母さんが弱っているのを見て、放っておけないぼんご。
口やかましく言われながらも、せっせと世話したり、家事をやったりしていた。
やんなくていいのに、とお母さん。
心配されるのを嫌がって口ではぶーぶー言っていたが、しまいにはあきらめたように、ぼんごにやらせるままにした。
お母さんにそっくり。
こんなときは私利私欲がまったくなく、相手に尽くすところはお母さんにそっくり。
ひとにやさしく。
当たり前のことではあるのだけど、ぼんごの優しさはお母さんの優しさでもあるのだと改めて思った。
その優しさはしっかりとぼんごにも伝わっていたのだと、台所に並ぶ二人の背中を見て思った。
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