記憶とワーファリン

腎炎

ぼんごさんの場合、腎炎の治療と言えば塩分を絞った食事制限と、たまご、ひよこ、にわとり、に象徴される行動制限の記憶が強いみたい。また、入院中はステロイドの点滴をいつも引きずっており、たまに血漿交換をすることもあった。

そういった治療に加えて、「ワーファリン」という飲み薬も使っていた。

記憶

薬を飲んでいた記憶はとても曖昧で、小学校当時の生活を思い出せば、そういえばなんとなく飲んでいたかもしんない、程度の腎炎食みたいな薄味の記憶になってしまっていたところ、つい最近、ぼんごさんがお母さんから聞き出してくれて、うん十年の時を経て、ぼんごさんははじめてこの薬の名前を知った。

普段、まったく昔のことをお互いに話さないぼんごさんとお母さん。
薬のことを尋ねたら、「昔のいやな記憶はもう忘れたよ」と素っ気なく、まったく取り合ってくれなかった。

お母さんとしてはもう娘は腎炎じゃないし体調悪くても自分には関係ないと言わんばかり。なんでそんな嫌な記憶をわざわざ思い出させようとするのよ、と露骨に表情で語ったみたい。娘のことをあれこれと心配する季節は僕の登場とともに終わっているそうで、これ以上お母さんにつらい思いをさせないで、と、冷たい。

私だって本当に大変だったんだから、転勤が多くて小さい子供を抱えながら旦那の両親とも暮らして、と、すぐお母さん自身の苦労話があふれ出してくる。

ぼんごさん、それ以上は聞かなかった。

お母さんとのこの手のコミュニケーションは慣れっこだったので「お母さんはそういうもの」というを発現して即座に自分を守って去った。そうでもしないと、自分が悲しくなる。

腎炎は終わらない。完治ということがない。記憶の中のことではない、現在進行形の話なのだ。
そのことがお母さんはたぶんわからないのだろう。わかったとしても、お母さん自身のつらさのほうが比重が大きく、ぼんごさんに優しくする余裕がないのかもしれない。

こんな感じで、ぼんごさん母子は腎臓のことについてまったく話さない。
ぼんごさんの体調が悪いと、ぼんごさん以上にお母さんが不機嫌になる。
だからぼんごさんは体調が悪くてもお母さんに隠していたりする。それはぼんごさんの優しさでもある。

いちばん理解してほしいはずの人に、いまだに理解されていない。
これはこれでお互いの自立なのかもしれないが、寂しいと僕は思った。

ところが、翌日になるとだいたいいつもお母さんはケロッとしていて、
「ああそうそう、ワーファリンという薬だったよ確か」
とあっさり教えてくれたりする。

ワーファリン

ワーファリンは血液を固まりにくくする薬だ。
静脈血栓症、心筋梗塞症、肺塞栓症、脳塞栓症、脳血栓症などの治療や予防に使われたりする。

小児腎疾患にもワーファリンを使う場合があったらしく、ぼんごさんもまさにこれを飲んでいた。ネットで調べて閲覧できる論文の中には、小児の腎炎には効果があったとする記事もある。

血液を固まりにくくするので血液がさらさらで詰まったり停滞したりしづらくなりそう、なんてぼんやり想像する。腎臓にくっつく謎の免疫複合体を、くっつく隙を与えずに流しちゃったりして、なんて考えは全く僕の妄想ですが、しかし、ぼんごさんはしばらくの間この薬を飲み続けてなんとか耐えていた。

血液を固まりにくくするということは、出血したときにも血が固まりにくくなるということだそう。

この薬の服用中の注意点として、怪我をする可能性のあることを避けるとか、また歯の治療で歯を抜くとか、身体のどこかを手術するとか、出血を伴う医療行為も担当医と相談して行うように、とされていたりする。

ということで、ぼんご一家はぼんごさんの怪我に非常に敏感になった。

運動の感覚が独特なぼんごさんは、小さなころからまあまあの怪我をすることがあった。転ぶとかすりむくとかは良くあることだった。通れるかなと思ったところが通れなくてぶつかるとか。最近も、リビングの壁がよくぼんごさんを殴っている。

ワーファリンと、お母さんの性格と、怪我。
この3つが運命の出会いを果たしたとき、ぼんごさんがどうなってしまったのかはまた別の機会に。

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