ぼんごさんの入院生活:ぼんごさんと病院外の食べ物

腎炎

病院食はいつだって好きじゃなかったぼんごさん。食事が楽しくなかった。腎臓のためとはいえ味のない食事を我慢して食べ続けられるほど大人ではなかったのだ。

密輸

あきらかに痩せてきているぼんごさんの食生活を救うべく、病室にはこっそりと病院外の食べ物が持ち込まれることがあった。持ち込みは病院の規則や治療方針に反することで、なにより腎臓に確実に影響が出るため褒められたことではなかったが、おそらく多少のことは黙認されていたのだと思う。

お母さんはよく、いちごの挟まったサンドイッチを持ってきてくれた。 ぼんごさんはお母さんからそれを受け取ると、布団に潜り込んで瞬時にそれをもぐもぐやった。食べることを楽しむ暇もない食事だったが、生クリームの甘さといちごの酸味とパンの塩気は味覚を通してぼんごさんの脳をノックするおいしさだった。

あるときはお父さんが〇クドナルドのポテトを持ってきてくれた。というかこのときはお父さんが、面会に来る途中で寄った〇クドナルドで食べていた自分のポテトの残りを、どういうわけか病室に持ってきたのだった。
ぼんごさんはそのポテトを、野ネズミを狙う猛禽のような気持ちで見つめて、口には飢えたオオカミのように涎を垂らしていて気がした。
それで、2~3本のポテトをかっさらって、カーテンの陰でもぐもぐやった。
もぐもぐ、うまーい。
もぐもぐ、うまーい。
もぐもぐ、うまーい。
うまいという感覚に完全に支配された感動の時間だったらしい。たった数秒だった時間が、いまでも強烈な記憶として残っているという。飢えていたものが自分の身体に取り込まれてゆく感覚を、ぼんごさんは喜んだ。この世で一番おいしいものはこの瞬間、〇クドナルドのフライドポテトだった。このポテトが相当においしかったといつも語っている。塩、油、炭水化物。いずれも病院食では避けられるものだ。 ポテト、たしかにうまい。うまいよ。だが感動を覚えるというほどの衝撃は普通は経験しないかな。数本のポテトがそんなにもおいしかったのかと不憫に思う。

暗闇にうごめく麺

夜には、お腹がすいて眠れなくなったこともあった。病院食に全く食欲が出ないのでほぼ食べないまま消灯の時間をむかえてしまうのだ。そうなると、自然と食べ物のことを考えて夜をやり過ごすほかなかった。
ぼんごさんはひとりで、家に帰れているときにお母さんが作ってくれたご飯を思い出したりしていた。家にいたときはそんなに美味しいと感じなかったあの焼きそば、また食べたいなあなんて妄想を膨らまして暗闇の中に焼きそばのイメージを膨らませたりしていた。
願っても誰かが食べさせてくれるはずもなく、残念ながら不思議な出来事も起こらない。そんなことわかっているけれど、食べ物に関してはぼんごさんは苦しめられた。

腎炎の患者の食生活は制限がつよい。塩に塩気がなくなれば・・・を地で行く食生活だったりする。
食に関して相当に我慢を強いられることは理解が必要だ。

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