病院では、夜八時に消灯になった。
看護師さんがおやすみと言って部屋の電気を消して、そのあとはこどもたちだけで夜を過ごした。
ぼんごさんは布団にくるまって、大好きな布を顔に当ててにおいをかぎながら、目をつむって眠りが来るのを待った。病気でも昼のあいだは元気な瞬間もあるこどもたちだったが、夜になるとわけもなく悲しくなった。はやく治りたい、早くおうちに帰りたいとぼんごさんは願った。
夜が更けると音が聞こえた。
どこかで誰かが咳き込んだ。
どこかで誰かが泣いている。
だれかが、どこかでうめき声をあげている。
だれかがどこかで悲しくさけんだ。
ぼんごさんは夜の音が嫌だった。
トイレに行くときは、暗い廊下をひたひたと一人で歩いて行った。
廊下の奥から、通り過ぎる部屋から、そのへんの暗がりから、誰のものともわからない悲しい音が聞こえた。
子供の頃の僕なら間違いなくちびっている。そして悲しくて泣きわめいていたことだろう。家に帰りたいと言って駄々をこねているのが想像できる。
ぼんごさんとお母さんが交わしていた日記に次のような日がある。
おかあさんへ みんなたいいんして、さみしいです。 きのう、みんなで夜、おばけ、ゆうれいの話をしていたから、こわくなってねむれませんでした。 そして、みんなで「お母さん」とさけびました。 本当にこわかったです。 (実物)
なんてかわいそうなこどもたちなのでしょう。ぐすん。さぞ怖かったろう、心細かったろう。ホームシックという言葉では収められない、病院で過ごすこどもの寂しさと怖さの入り混じったせつない体験談だ。 泣いていたの、って聞いたらば、こども病院にいたときは泣いたことがないらしい。意外だ。
じつは、ぼんごさんには割とこういうあっけらかんとした強さというか爽やかさというか、どこか冷めた現実的なところがあるのだ。目に見えない病気と戦っているこども時代に、ぼんごさんの精神は揉まれて強くなっていたのだろうな。
そうなのだ。ぼんごさんはけっこう強いのだ。
そういう強さに、ちょっとしたことでいじけてしまう僕は、憧れていたりする。
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